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教育の核心: 民主主義を育てる

2010年4月29日(昭和天皇誕生日・祝日)木曜日 雨・みぞれ

今日も昨日に続いて、雨、ないしみぞれのような雪。4月も最終週に入ってからの雪は、さすがの札幌でも珍しい方かも知れない。

さて、

民主主義を育てるには私たちはどうしたらよいのだろうか。

一番大切なことは、私たちひとりひとりが自分の考えを持ち、意見を述べることだ。それができるようになるために十分な教育を、自分自身にも、そして子供たちにも、市民ひとりひとりにも、授け、かちとることが必要だと思う。これが、人間の教育の最も核心となる本義である。

意見としては、主張を述べるだけでは足りない。なぜ、そのような主張・結論に至るのか、その根拠が明確に述べられなくてはならない。その際、自分の意見とその根拠を述べるだけでなく、他者の異なった意見・そしてその根拠も考慮されて比較検討する視点が(すなわち、一人の人の意見や視野の中で考慮されることが)必要である。なぜなら、そもそも意見を述べる限りは、別の異なった意見があることが前提になっているからだ。全人類がすべて一致しているような事柄を意見として取り立てて述べるような状況は、それ自体が陳腐で意義がない、あり得ない状況だろう。意見・考えというものは、その性質上、他者との意見考え方の不一致があるからこそ、語られることになるのである。

民主主義が成り立つためには、各人の意見が平等に尊重されなければならない。少数意見を持つ人の考えも十分に述べられ、聴かれなければならない。そのうえで、十分な議論が行われることが必要である。多くの誤りや誤解が見つかることが通常である。意見の交換が十分になされない限り、誤りが気づかれない危険がある。

この時、各人に、広い視点からの、偏らない、十分な情報が平等に与えられることが必須である。この部分が大切であり、古来うまくできてこなかった。権威に寄り掛かることは、自分の意見を形成する上でも、極めて危険である。大学などの高等教育で誤ったことがあたかも正しいかのように教えられることが多いことを各人が銘記すべきである。マスコミがプロパガンダの発信器になっていることも多い。インターネットの普及によってかなり楽になってきたとはいえ、多くの情況で、情報源の偏り・正確な情報の偏在などが、問題の本質をみえなくさせている原因である。

情報が与えられ、多くの議論がなされたあと、各人がそれぞれ自分一人で十分に考える時間が大切である。

そのあと、民主主義では、多数決という手段を取る。

多数決によって正しい結論が得られるという保証はどこにもないことを銘記すべきである。ただ、私たちはできるだけ正しい選択をなすことができるよう、多数決によって適正な結論に到達する確率を少しでも上げられるよう、ポイントを押さえて努力してゆく必要がある。

多数決では、一票が平等に一票であることが民主主義にとって必須である。

この際、それぞれ各人が独立して投票することが必須である。有力者などが派を作って多数決の票の取りまとめをしている場合には、各人が自分の考えを正確に反映した投票行動に結びついていない。これによって一票の平等性が損なわれ、多数決によっては誤った選択につながる可能性が高まる。

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全員一致の誤謬:

全員一致の採決結果は常に危険を孕んでいる。

多くの場合、情報が偏っており偏った結論が誘導されていることが考えられる。議論が不十分であったり、一人で考察する時間的ゆとりがなくて結論や採決が急がされていることも要因である場合がある。

全員一致になりそうな議論に関しては特に、敢えて、反対の意見を考えてみる、そしてその根拠を考えてみる、それを自分の意見・根拠と比較検討してみる、そのような試みを常に行っていく姿勢が大切である。

多くの場合に、より多くの広い・深い情報の追加が必要なことに気づくであろう。自分自身との対話だけでは不十分であれば、他者とのディベート的対話も自己啓発のためには必要であろう。

若い人たちには、特にお願いしたい。敢えて、自分とは反対の意見を考えてみる、そしてその根拠を考えてみて欲しい。

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重ねて、

教育において、

民主主義の担い手になる一人一人を育てていくことが教育の核心である。自分自身の教育においても、そして、初等教育はもちろん、大学教育や市民の教育においても。

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以上、2010年4月29日付けWEBページより再掲

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