Jane Austen: 祝福に添えて

祝福に添えて一冊の本を

2015年1月7日 水曜日 (2015年1月23日改訂)

D. 結語: オースティンに祝福を。そして祝福に添えて一冊の本を。

冒頭、「これほど楽しい読書時間を過ごせる作品を何冊も残してくれたオースティンはストーリーテラーとして卓越している。。・・・美苗さんもオースティンを読むのが大好きだとおっしゃっていた。ほとんどの読者は同じ感慨を抱かれるのではないだろうか」と書いた。私もある意味、全く同感である。ある意味という保留を付けるのは、作者や登場人物と同じ価値観の世界を共有してその世界から世の中を眺め繰り広げられる事件に没入していけば、という意味である。また、この態度こそが文芸を作者の思惑通り正確に楽しく鑑賞する態度であることは間違いない。

ところが私にはコンシューマリズムで作られた彼女の世界が、偏った窮屈なものに感じられる。コンシューマリズム、消費至上主義とでも訳したらよいのだろうか。オースティンの描く世界は、ポンド貨幣を単位として計られるものたちで構成されている。小説の世界が虚構の世界であることは承知の上であるが、オースティンの世界には、生産のよろこび(あるいは労働の苦しさ?)を伝えてくれる人間が描かれていないのである。

ベネズエラの故チャベス大統領がアメリカのオバマさんの大統領就任のお祝いに、ガレアーノの「収奪された大地」を手渡して語りかけたと伝え聞いている。かなわぬ夢、途方もない無茶な想定ではあるが、もし冥界にてオースティン叔母さんに今の私が会えたなら、私も故チャベス氏に習って、感謝に添えて一冊の歴史の本をプレゼントしたいと思う。チャベスさんそのままの「収奪された大地」でもよいが、藤永茂さんの「闇の奥の奥」にしたいとも思う。知らないまま考えずにすむ方が楽しく生きられ芸術も堪能できるかもしれないが、やぼったく苦しくとも問いかけること知ること、そして語りかけることの方がより良く生きることへとつながると思うからである。

「アフリカ問題はアフリカをどう救うかという問題ではない。アフリカ問題はわれわれの問題である。われわれをどう救うかという問題である」 (藤永茂 「闇の奥」の奥 三交社 2006年 p236より引用:アフリカの「闇の奥」の凝視を試みた同書の結語)

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