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Darwin’s Black Box

思考停止で書かれた本: Darwin’s Black Box

2019年1月19日 曇り(明るい雪景色・マンション5階のベランダは積雪5cm)

マイケル・J・ベーへ ダーウィンのブラックボックス 長野敬・野村尚子訳 青土社 訳本は1998年。 Michael J. Behe Darwin’s Black Box: THe Biochemical Challenge to Evolution, The Free Press, 1996.

現在私の書棚に並んでいる書物たちの中では最も情けない本のひとつである。ドーキンス本やコイン本を紹介してきたので、この本にも少しだけ触れておきたい。15年以上も前に読んだ。ベーエは途中で議論を突然放り出した。非常にがっかりした。が、最後までなんとか読み通した。間違って買ってしまった後悔本のひとつ。

科学者の手になる「思考停止の本」である。途中まで科学、難しくなったところで、今までのプリンシプルをかなぐり捨てて思考停止。

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だからベーエは本当の科学者とはいえない。本来は、難しくなってきたところから、本当のサイエンスのチャレンジが始まるのである。

このベーエ本が書かれる前に、すでに多くのことが解明され道筋は示されてきていた。たとえば、ドーキンス本1986年でも、ひとつひとつの小さな変異のステップで得られた小さな有利さが子孫の生存に有利に働いて自然選択されていくこと(基本的なプリンシプル)が、わかりやすく詳細に説明されている。

IMG150109014この本が書かれたあとでも、現代の発生学や分子生物学で多くの知見が積み重ねられてきている。たとえば眼の進化や血液凝固系獲得に関しても、一つずつ謎が解き明かされてきた。非常に複雑な現象と思われていたことが、わかりやすい単純な仕組みになっていることが種明かしされてきた。

だから、プリンシプルにのっとって一歩ずつ進めば良いのである。

ベーエ本は政治的な意図を背景に書かれたアナクロニズム・プロパガンダ本であろう。が、成功していない。ただ、ベーエに関する批判はこれぐらいにしておきたい。思考停止に付き合って立ち止まっていれば心が沈む。立ち止まらず進んでいかなければならない。愛することができなければ通り過ぎよ。

Wo man nicht mehr lieben kann, da soll man vorübergehn!

(Nietzsche, F., Also Sprach Zarathustra, Reclam, 1994. p185)

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2015年2月5日 木曜日 追記

べーへ本の前でしばし立ち止まるドーキンス:

マイケル・J・ベーへ ダーウィンのブラックボックス 長野敬・野村尚子訳 青土社 訳本は1998年。 Michael J. Behe Darwin’s Black Box: THe Biochemical Challenge to Evolution, The Free Press, 1996. べーへ本への批判の続き:

Dawkins, R. God Delusion, Black Swan 2006. pp156-161

‘Irreducible complexity’ is not a new idea, but the phrase itself was invented by the creationist Michael Behe in 1996. (Dawkins, ibid., p156)

Without a word of justification, explanation or amplification, Behe simply proclaims the bacterial flagellar motor to be irreducibly complex. Since he offers no argument in favour of his assertion, we may begin by suspecting a failure of his imagination. (Dawkins, ibid., p157)

想像力の欠如とも言えるし、thoughtlessness 考えのなさ・「思考停止」とも言ってよいと思う。ドーキンス本では、以下、べーへが取り上げた bacterial flagellar motor に関して、分子進化からみた生化学的研究成果の記載がなされる。これらの証拠によってべーへの「思考停止」が糾弾される。’Irreducible complexity’ と称してべーへがそこで止まってしまう障害物に対しても、地道な科学者たちは少しずつ解きほぐすことで全体を解明しつつあるのである。

複雑な自然の仕組みも科学的に解明されることによって、「不思議」ではなくなる。けれども、理解された自然の仕組みを、ますます美しく感動をもって見つめることができるようになる。ドーキンス氏がいつも述べているように、「虹の解体」によっても、虹が陳腐な平凡に堕することはない。それどころか自然が、そして虹が、私たちにはますます愛しく美しく感じられるのである。

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