Dennett, Darwin’s Dangerous Idea (1)

Darwin’s Dangerous Idea: Evolution and the Meanings of Life

2015年2月23日 月曜日 晴れ

今日からデネット本、スタート。

Darwin’s Dangerous Idea: Evolution and the Meanings of Life
Written by: Daniel C. Dennett  Simon & Schuster 1995
Audiobook: Narrated by: Kevin Stillwell

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2015年2月25日 水曜日 曇り

デネット本とオーディオブック、27時間のうち17時間を聴了。残りはあと10時間。大部な本であり、これを原書で読み通すには相当の忍耐を強いられるだろう。オーディオブックがなければ私の場合挫折していただろう。

進化の哲学だから、私にとっては親しい話題で理解容易のはずだが、そうもいかない。問題意識を共有できていない部分も多い。

たとえば最初から引っかかるのがこのタイトルの副題 the Meanings of Life である。生命の意味するところ、ならば何とも違和感はないのだが、人生の意味は? という設問であれば、困る。デネット本を27分の17まで読み進めてきてもどちらの意味か確信を持てていない。もし、前者であれば、生命の意味するところなどというよりは、生命とは何か? などといった表現にするであろう。だから、普通は後者の意味だろう。

しかし、What is the Meanings of Life ? という質問に答えようとするのは危険である。あるいは不毛である。

たとえば、道で出会ったキツネに、What is the Meanings of your Life ? という問いを投げかけてみよう。キツネは、質問者の私に怪訝なまなざしを投げ返しながらも、問いには答えることなく、餌取の稼業に励むため私のそばを通り過ぎるであろう。そしてそれがそのままキツネの見事な正答になっているから不思議である。すなわち、キツネの人生(狐生?)はキツネによって生きられるべきものであり、ヒトから問いかけられるべきものではないことを、キツネは行動をそのまま答えとして示しているのである。

しかし、この禅問答には生産性がない。ヒト以外のどんな動物に問うても同様の答えが返されてそのまま正答、これでは知恵あるダイアローグとは言えない。

同様に人に向かって、あるいは自分自身に向かって、What is the Meanings of your Life ? という問いを問うべきではないだろう。現に Life を生きている人は、その外に立たない限り Life の意味に言葉で回答することができない。解答は、語られるべきではなく、ただ生きることによって、それのみによって示されるべきものだ。

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このような考え方は、40年以上も昔にサマセット・モームから学んだような気もする。あるいは、ウィトゲンシュタインが「沈黙しなければならい」と語っているカテゴリーに属する問いかけかもしれない。あるいは、たった数日前にこのブログに書き写した「祈りとしての永遠回帰」からの剽窃だと言っても通用する。

・・・永遠回帰は、本来、語られるようなことがらではないだろう。ただそれを生きているものは、それを語る必要がないだけでなく、そもそもそれを語る視点に立つことができないはずだからである。永遠回帰は、目的なき日々の無意味な繰り返しのうちで、世界と一体になって無邪気に遊ぶ子供の、現在の肯定感そのもののうちに自ずと示されるほかはない。(永井 これがニーチェだ p206 より引用。  http://quercus-mikasa.com/2015/02/19/nagai-nietzsche-6/ より、また引き。)

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