良心や罪悪感の根原:事実認識層の光

2015年4月15日 水曜日 曇り

不生庵さんの2015年4月13日付け・安心と不安(2)http://blogs.yahoo.co.jp/kazenozizi3394/13151963.html

不生庵さんは「事実認識層の光」という、端的な事実認識と主観的な思い込みによる事実認識との照合チェック機序を想定して、良心や罪悪感の依って来たるところを説明している。

「事実認識層の光」とは、事実(端的な事実認識)と認識(主観的な思い込みによる事実認識)の符合・否符合に関する照合チェックをつかさどる高次脳機能とでも呼ぶべきものであろう。

不生庵さんによると:

A)意識の表層=主観的な思い込みによる事実認識。

B)意識の表層(A)の背後に生まれてくる事実認識層。
(B)はこの世界をあるがままのかたちで受け入れ、それをそのまま受容する。この世界をそのまま全面的に肯定し、無条件で愛することを意味している。意識の表層(A)とは裏腹に、世界を全面的に肯定する事実認識の層(B)。良心をはじめとするすべての良きものは事実認識の層(B)に胚胎する。

たとえば、嘘を言って他人を陥れようとしたとき、背後にある事実認識層(B)はこの行為を本人の前に浮かび上がらせ、その行為が真実ではないと本人に告知する。別に、非難したり、断罪したりするのではなく、ただ事実を告知するだけなのだ。すると、光に照らされると影が生まれるように当人の自我意識内に一つの罪悪感が生まれる。そして当人はこれを自我意識の底に良心が存在するからだと錯覚してしまう。

すなわち、事実認識層(B)からの光が、意識の表層(A)を照らし(照合し)、その行為あるいは主観的な事実認識(A)が真実ではないと本人に告知する。別に、非難したり、断罪したりするのではなく、ただ事実を告知するだけなのだ。

光に照らされると影が生まれるように、事実認識層(B)からの光に照らされ照合されることによって、当人の自我意識内に一つの罪悪感(悪であることの実感)等々が生まれる。

中島さんの「からだで哲学する」というときの誠実さ(私の以前の記事「真実を語る:そして誰もいなくなったも参照ください)というのは、この不生庵さんの「事実認識の層からの光に照らされること」の感覚のようなものに従うことだと思う。これが「からだで哲学する」ことの重要な芯を形成するのである。

私たちの脳には、ただ端的な事実認識(B)と主観的な認識(A)とが符合するか符合しないかを照合チェックする機序があり、これを「事実認識の層(B)からの光に照らされること」と不生庵さんは表現されている。この照合機構の光は、「ただ事実を告知するだけ」なのだ。この照合の結果に対して誠実に対応すること、すなわち、主観的な認識Aを修正することや、認識Aに基づいて次の行動を選択することが、「からだで哲学する」ことの誠実さの本質だと私には思われる。

以下は、不生庵さんの2015年4月13日付けブログより引用:

<以下引用>

人は身の回りに生起する何でもない現象を見聞きしているうちに、主観的な思い込みとは異なる事実認識を取得するようになる、つまり、この世界をあるがままのかたちで受け入れ、それをそのまま受容するようになるのだ。そして、この世界をあるがままの相で受容するということは、この世界をそのまま全面的に肯定し、無条件で愛することを意味している。

今から考えると、あの頃の自分は現実世界を憎んでいた。その内面は怒りと憎しみの感情で一杯になっており、深刻な鬱の状態にあったのだった。だが、意識の表層とは裏腹に、その背後には世界を全面的に肯定する事実認識の層が生まれて来ていたのだ。

人は、自我意識を深く掘り下げてゆけば良心や人道精神にたどり着くと誤解している。しかし、良心をはじめとするすべての良きものは事実認識の層に胚胎するのである。たとえば、嘘を言って他人を陥れようとしたとき、背後にある事実認識層はこの行為を本人の前に浮かび上がらせ、その行為が真実ではないと本人に告知する。別に、非難したり、断罪したりするのではなく、ただ事実を告知するだけなのだ。

すると、光に照らされると影が生まれるように当人の自我意識内に一つの罪悪感が生まれる。そして当人はこれを自我意識の底に良心が存在するからだと錯覚してしまう。親鸞は悪人こそ救われると説いたけれども、悪をなそうとするものは、その都度、事実認識層の光を受けて、その光の影として自分のなそうとしていることが悪であることを実感する。善人は事実認識層からの光を受けないから、自分は善人だと信じることができ、悪人を救済することを本願とする弥陀の救済に預かることができなくなる。(不生庵さんの2015年4月13日付け・安心と不安(2)http://blogs.yahoo.co.jp/kazenozizi3394/13151963.html より引用) 私の2015年3月20日付けの記事「善人ほど悪い奴はいない?」も参照下さい。

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