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中島義道の真理のための闘争

2015年4月17日 金曜日 曇りときどき雨 朝から風強く荒れた天気。外気温は5度程度と寒い。

中島義道 真理のための闘争 中島義道の哲学課外授業 河出書房新社 2012年3月刊

この本は、中島義道 「哲学実技」のすすめーーーそして誰もいなくなった・・・ 角川oneテーマ21 2000年(キンドル版は2014年)から12年後に書かれた哲学実技・続編という位置づけの「哲学入門書」だ。

カルチャーセンターの事務局と筆者とのあいだに生じたトラブルとそのやりとりに関して第一部・実践編で紹介し、第二部・理論編では、中島氏の哲学塾カントでの対話編へと進む。すなわち、実践編の文書資料を読んでもらって、さまざまな経歴を持つ老若男女9人の授業参加者と哲学実技を行うという構成である。

理論編の章立ては以下の通り:
1.理性の公的使用と私的使用
2.哲学の学校概念と世界概念
3.根源的自我と寄生的自我
4.自由な投企と責任
5.幾何学的精神と繊細な精神
6.真実の重み

カント、ベルグソン、サルトル、パスカル、それにプラトン少し(ゴルギアスに出てくるカルリクレスとソクラテス)の哲学が紹介される。「真理のための闘争」だから、哲学説を学ぶのではなく、それぞれの塾生が「からだ」で考え自分の言葉で語らなければならない哲学実技である。

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「からだで哲学する」ことについて「不生庵さん:事実認識層の光」より再掲。:

中島さんの「からだで哲学する」というときの誠実さ(私の以前の記事「真実を語る:そして誰もいなくなったも参照)というのは、この不生庵さんの「事実認識の層からの光に照らされること」の感覚のようなものに従うことだと思う。これが「からだで哲学する」ことの重要な芯を形成するのである。

私たちの脳には、ただ端的な事実認識(B)と主観的な認識(A)とが符合するか符合しないかを照合チェックする機序があり、これを「事実認識の層(B)からの光に照らされること」と不生庵さんは表現されている。この照合機構の光は、「ただ事実を告知するだけ」なのだ。この照合の結果に対して誠実に対応すること、すなわち、主観的な認識Aを修正することや、認識Aに基づいて次の行動を選択することが、「からだで哲学する」ことの誠実さの本質だと私には思われる。

以上は、私の以前の記事「不生庵さん:事実認識層の光」より再掲。

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