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ウィーン愛憎:ヨーロッパ精神との格闘

中島義道 ウィーン愛憎:ヨーロッパ精神との格闘 中公新書 1990年1月25日初版

「憧れの」欧米社会の実態はこんなに悲惨なものだという報告---「ウィーン愛憎」はじつはこの系列。(中島道義 英語コンプレックス脱出 p129 NTT出版 2004年)

2015年4月14日 火曜日 晴れ

中島さんのウィーン本を読了。私も、奇しくも中島さんと同じ33歳の年から(2年間であるが)私費留学生としてアメリカのボストンで暮らした経験がある。若干の奨学金だけで2年間を過ごしたのだからずいぶん貧しくて、将来の展望も開けず苦しい日々であった。

私と中島さんとは10歳違いであるので、同じ年で海外留学したということは、ちょうど10年の周回遅れで中島さんのあとを走っている感じだ。このウイーン本が出版されたのが1990年の1月、私がボストンへ旅立ったのが1990年の4月16日であったから、ひょっとしたらこの中島ウイーン本が私のボストン滞在中のバイブル的慰めと励ましの書になっていたかもしれないのだが、残念ながら、それから25年後、今回初めてこの本を手に入れて読み通したのである。

このボストン時代の思い出は私の過去の精神史中でほぼ封印されているので、「自分にとってトラウマになっているような愚行を自己弁護すること無く細部まで思い出し、その全体像を繰り返し反芻(脚注1)」した方が良い時代の最たるものだろう。そして、中島さんの説くように「思い出すだけでも脂汗が出るようなこと、こころの歴史から消してしまいたいようなこと、それらを正面から見すえる(脚注2)」ことが必要だろう。

が、今はまだそれができない。現在の日々の暮らしに追われてゆとりがない時間を過ごしてしまう、というのは先送りの言い訳に過ぎないかもしれない。

ただし、10年近く前にエッセイの形でまとめた文章に若干のボストン時代の思い出を散りばめてはある。(過去の私のサイトを参照下さい。脚注**)

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「私のヨシミチという発音は難しいらしく学生たちが、「じゃヨシにしよう」と言うたびに、私はけっして譲らなかった。(中島、同書、p146)」とある。私のヒロフミという4音節の発音も難しく、4、5人の例外(脚注*参照)を除いて、ヒロフミと発音してくれない。そして私も中島さんと同じく、ヒロと呼ばれると嫌な思いがする。それで、ヒロフミと訂正するチャンスがあればその都度訂正したものである。つまり、私もけっして譲らなかった。ナイーブにも、辛抱強く訂正していればいずれは定着するかと考えていたのである。が、2年では果たせなかった。むしろ名前を呼ばれないインビジブル invisible な存在(ヒロ=ヒーロー hero とは対極的な存在)に埋没していた2年間だったのである。

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以下、中島さんのウィーン本から引用しておく。

私がミセス・ケレハーと対決する場合けっして認めてはならなかったこと、それは「私が英語ができない」ということだったのである。・・・(中略)・・・私は、彼女に「あなたは英語ができないのだから、ジミーを批判する資格はない」と言われた瞬間に、はっきり「ノー」と言わねばならなかったのである。さらにしたたかに喧嘩のルールを承知している人なら、イギリス人のミセス・ケレハーに向かって、「あなたの英語力はきわめて貧弱である、私はあなたよりずっと英語の実力がある」と真顔で言えることであろう。
つまり、攻撃された瞬間に真実に取りすがってはならないのであり、相手に自分の弱みを一切見せてはならないのである。攻撃された瞬間、自分は全知全能の神のような存在に上昇し、相手は無知無能の輩に下落する。そして、このタテマエをどこまでも大真面目に、相手に一分の隙も与えずに貫くとき、私は勝利はしないかもしれないがけっして敗北はしない。屈辱感に身を震わすこともない。(同書、p23)

日本人の傲慢さに業をにやしている人々は、同じ公平な目でヨーロッパ人の傲慢さを糾弾し、それを改めさせるように忍耐づよく努力すべきだと思うのである。(同書、p56) なぜ彼ら(日本のヨーロッパ通の知識人たち)は、ヨーロッパ人の目で日本人を批判する態度をやめようとしないのであろうか。(同書、p142)

ヨーロッパ人が「われわれの国では・・・(中略)・・・と考えられています」と言うなら、「ああそうですか、しかし、われわれの国では違います」と平然と答えればよいのではないだろうか。そして、そこからまた稔り多い議論が始まるのである。(同書、p142)

カフカの世界がそこに現前しており、それがさしあたり私個人には変えられないものであると悟れば、あとはこの世界でいかに生き抜くか考えるほかはない。 こうしたことを通じて私の学んだことは、いかなる権威が命じようと、いかに多くの人が語ろうと、何ごともそれが実現されるまでは信じない、というある意味では健全な態度である。(同書、p103)

森鴎外はわれわれの国民的作家なのだ。そんなふうに扱わないでくれ! 私は日本ではまちがっても発しないこうした野暮な叫びを彼らにぶつけたくなる。(同書、p148)

しかし、こうしたシュトゥンプフ氏の高圧的な姿勢の裏にある恐れとおののきを教えてくれたのもウィーンなのである。・・・(中略)・・・「真理よりも権利」という私の実感したヨーロッパ人の態度を、ここで私は最も鮮明に見たように思った。(同書、p165)

「・・・いろいろ考えましたが、そうする必要はまったくないと思います。」(と返答した上で)そして、粘り強く家主と交渉するのである。たとえば、契約のどの条項によってあなたはそうした要求をするのか、もし私たちが要求を聞かない場合はどうするか、などと。(同書、p174-5)

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脚注*:4、5人の内訳は、以下の通り。台湾系のMIT学生のチーフン君。ニューヨーク生まれ中国系アメリカ人のコニー・ジー。ユダヤ人のデイビッド、彼は語学の才がある。カナダ系フランス人のミシェル、かれは「国際派」フランス「教養人」である。そして、パリジャンヌ・フランス人のイザベラ、ただし彼女はヒロフミのことを絶対にイロウミと発音する。本人にはヒロフミと聞こえているのだから直させられないのだ。ヒロと呼ばれるよりもイロウミと呼ばれる方が情けない気持ちがする面もある。

脚注1:先日このブログ(自分自身の不幸のかたちを選ぶ(2))で不生庵さんのサイトから引用したものを再掲。

脚注2:同じ私のサイト 自分自身の不幸のかたちを選ぶ(2)より再掲。

脚注**:ボストン時代の研究環境事情などの紹介記事として書いたもの。捏造・偽装・換骨奪胎(第一部)

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