虚無思想につながらない解脱を、いかにして空観から把握すれば良いのか

2015年11月25日 昨日に続いて大雪。高速道路は閉鎖ないし大渋滞。

昨日は出歩くこともままならないので、日が暮れるまで至近の大学図書館で過ごした後、自宅の隣のジムに立ち寄って筋トレ少し。今日もそれに似た一日の過ごし方になりそうだ。

それにしても圃場に駐めてあるトラクターのことが心配だ。この週末に畑に行けるかどうかさえ怪しい。

先週の土曜日に籾殻運びを進めて、Wさんからいただいたものを運び終えた。そのおかげで、今年の農作業はバッカスとシャルドネのブドウ苗それぞれ400本ずつを受け取って雪の下に埋めて冬越しさせることを残すのみとなっている。

ばらの苗・6鉢は先週の日曜日に寝かせて籾殻で覆って不織布をかけて、冬越し準備とした。軽トラ・アクティも同じ日、雪降る中で室内・荷台・外装すべて、よく洗って泥を取り払って、今年の作業を終えた。この12月から4ヶ月余の間はAさんに預かっていただく予定である。

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陳舜臣 天竺への道 陳舜臣中国ライブラリー25新西遊記 集英社 2000年(オリジナルは「朝日新聞」1980年1月4日から3月1日 初刊本は「天竺への道」1986年6月 朝日新聞社) 

すべての存在は「識」がつくり出し、識がなくなれば一切は存在しないという説は、人間の死をたとえにとるとよくわかる。人が死ねば、その人にとっては何も存在しない。だが、ほかの人にとってはおなじものが依然として存在しているのも、人びとは経験によって知っている。虚無思想につながらない解脱を、いかにして空観から把握すれば良いのか。その人それぞれの資質と研鑽によって、浅いところで、また深いところで、けんめいにとらえようとする。だが、玄奘のみるところでは、当時の中国の翻訳経典のなかには、しっかりしたとらえどころがない。考えあぐねた末、天竺へ行って原典にあたってみるほかないという結論になった。(陳舜臣 同上 p530 より引用)

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