墨家は儒家の批判者として工人集団から起こった

2016年1月8日 金曜日 晴れ

白川、孔子伝、中公文庫、1991年(オリジナルは中公叢書1972年)

墨家は儒家の批判者として制作者集団から起こった

墨家は儒家の批判者として起こった。批判は同じ次元での、自己分裂の運動とみてよい。それは自他を区別しながら、新しい我を形成する作用であるが、しかし果たして、人は真に自他を区別しうるであろうか。他と自己との全き認識ということはありうるのであろうか。それぞれの思想の根源にある究極のものを理解することは、それと同一化することとなるのではないか。それゆえに批判は、一般に、他者を媒介としながらみずからをあらわすということに終わる。それは歴史的認識を目的とするいまの研究者にとってもいいうることである。(白川、同書、p182)

墨とはもと墨刑を受けた徒刑者をいう語であろう。・・・墨子の学が、このような制作者の集団から起こったものであることは、「墨子」七十一篇、いま存する五十三篇の内容からも、容易に推測することができる。「墨子」の記述には、一般に機械・兵器の制作にふれるものが多く、・・・儒家の文献の総集である「礼記」のうちに、喪葬に関するものが圧倒的に多いように、「墨子」にこの種(攻守の法に関する兵器など)の文献が多いことは、墨学の成立した基盤がどういうものであったかを示すに十分である。 墨子自身も、工作に巧みな人であったらしい。(白川、同書、p182-184)

百工とよばれる職能的集団は、それぞれ強い団結ときびしい結社性をもっていたようである。・・・墨者のもつおどろくべき行動力は、その強固な結社性と、信仰的な団体に近いこの奉仕的な精神にあったようである。それはときには、ほとんど狂に近いものであった。(白川、同書、p186-187)

墨子は・・・おそらく王公大人たちの野望を挫いて、その兼愛非攻の説を実践しようとしたものと思われる。しかし領土国家の拡大と統一を志向して激動する時代の中にあって、その理想主義はしばしば孤立する。(白川、同書、p190)

墨子はこのような活動を通じて、兼愛非攻の実践を追究してやまなかったが、時代の統一への志向が進むにつれて、墨家の後学は、やがて尚同天志を説き、かえって強国を支援する一大機械化兵団の様相をもつようになった。楚や秦で活躍した墨家のうちには、一定の城邑の守備を請け負うものがあらわれる。(白川、同書、p191)

墨子のいわゆる十論の思想は、ほとんどその集団の伝統と、自律の原理から出ている。この古代的な職能的集団が、王室や列国諸侯の隷属的地位からはなれて、社会的な集団として発展してゆくなかで、かれらはその自律の原理を、社会的に拡大していった。そして列国の領土国家的な発展、さらには強い天下統一への志向をくみとりながら、かれらもまた天子による統一の世界を構想する。天下・天子という語は、「墨子」や「孟子」に至って、しばしばあらわれてくるのである。(白川、同書、p195)

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