死生の間にあって生命をも賭した理想態追究

2016年1月8日

白川、孔子伝、中公文庫、1991年(オリジナルは中公叢書1972年)

そこでは死生の間にあって、生命をも賭した教学の実践化・純粋化が行われた。

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・・・三家の私邑の武装解除をするという政策は、孔子の立案したものであろう。しかしその強行策は失敗して、孔子は永い亡命の旅に上った。教団としては、大きな発展が約束されているときに、たちまち挫折したのである。
 この挫折は、しかし孔子にとって、むしろ幸いしたのではないかと、私は思う。この教団が士官の道に連なるというので、各地から入門者が相いついだ。もとより秩禄のない、いわば群不逞の徒に近い者が多い。このままでは、今の大学のように、地方から若者を集めて、それを大都市にはき出す集塵器に近い機関と化してしまうであろう。孔子は少数の門弟を伴って、亡命する。もはや集塵器となるおそれはない。そこでは死生の間にあって、生命をも賭した教学の実践化・純粋化が行われる。現実の場から離れ、絶対の場に立つ者のみがもちうる、理想態への追究が可能となる。孔子が、思想的な指導者として立ちうる条件は、むしろこのことによって、はじめて用意されたといえよう。(白川、同書、p157)

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