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真相を見た家人が恥しいと思って泣く・・富貴利達を求めてふりまわされる良人

2016年1月7日 木曜日

金谷治、孟子、岩波新書、1966年

真相を見た家人が恥しいと思って泣く・・富貴利達を求めてふりまわされる良人

君子よりこれを観れば、人の富貴利達を求むる所以のもの、その妻妾の恥じず相い泣かざるものは、ほとんど稀なり。(「孟子」巻八・離婁章句下)(金谷、孟子、岩波新書、p138)

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感覚的な欲望に身をまかせて、いたずらに外なる世界にふりまわされる主体性のない人生、そこには道徳の成立する余地がない。聖人への道は、自分の内心の高貴な存在をしっかりと自覚して、それを亡ぼすことのないように大切に養い育てることであった。それを孟子は「存心」とか「養心」といった。(金谷、同書、p138)

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漢文辺境・東洋古典ポストモダン 肝冷斎日録(http://www.mugyu.biz-web.jp/nikki.26.12.22.htm)<以下平成26年12月22日(月)のページより引用(長い引用で恐縮です)>
斉人有一妻一妾而処室者、其良人出、則必饜酒肉而後反。
斉ひとに一妻一妾にして室に処る者有り、その良人出づれば必ず酒肉に饜(あ)きて後反る。
斉の国に、妻と妾とともに暮らしている者がいた。そのだんなは出かけると、必ず酒と肉を腹いっぱい飲み食いして帰ってくるのであった。
「良人」の「良」は「長」の意で「家長」のことである、とも、「郎」の意で「夫」のことである、ともいいますが、要するにその家の御主人である。
いつもいつも満腹してエラそうに帰ってくるので、あるとき妻が、いったいどなたと飲食してくるのか、と訊いた。するとだんなの答えた相手は、
尽富貴也。
ことごとく富貴なり。
有名なお金持ちやエラいさんばかりであった。
その後で、妻は妾に言うた。
「だんなさんは出かけると、必ず酒と肉を腹いっぱい飲み食いして帰ってくる。そこで、いったいどなたと飲食してくるのか、と訊いてみたところが、お相手はみなさん有名なお金持ちやエラいさんばかりだというんだよ。
而未嘗有顕者来。
而していまだかつて顕者の来たること有らず。
けれど、これまで一度もそんな有名な方々がウチにお見えになったことなんかないでしょ?
どう思う?」
「おくさまの言うとおりです」
妾は妻のいうことに頷くばかりである。
「そこで」
と妻は宣言した。
吾将矙良人之所之也。
吾、良人の之(ゆ)くところを矙(うかが)わんとす。
「あたしは、だんなさまがどこに行っているのか、あとをつけてみようと思うのよ」
あくる日、妻は
施従良人之所之。
良人の之くところに施従す。
この「施」は「迤」(い)のことで「斜」や「邪」と同じ意味だそうで、要するに「施従」は、良人に見つからないように「斜めに隠れてついて行く」ということだそうです。(と朱子をはじめ歴代の注に書いてあります)
だんなの行くあとを、見つからないように尾行した。
すると、
徧国中無与立談者。
徧国中、ともに立ちて談ずる者無し。
都中歩いても、だんなとは(食事をともにするのはもちろん)立ち話をする者さえ一人もいないのである。
(・・・・・?)
卒之東郭墦閒。
ついに東郭の墦閒(はんかん)に之く。
「墦」は「冢」、「東郭墦閒」は城壁の東の外にある墓場のこと。
やがてだんなは城門を出て、町の東側にある墓場に向かった。
そこで、
之祭者乞其余、不足、又顧而之他。
祭者に之きてその余を乞い、足らざればまた顧みて他に之く。
お墓の祭りごとをしている人のところに行って、供物の残り物を乞うて恵んでもらった。それだけでは足らなかったようで、別のひとのところに行ってまた酒食の残り物を乞うた。
此其為饜足之道也。
これ、その饜足の道たり。
これが、彼の腹いっぱいになる方法であったのだ。
妻は急ぎ家に帰って妾に見てきたことを告げた。
良人者、所仰望而終身也、今若此。
良人なる者は仰望して身を終うるところなるに、今かくの如し。
「だんなというのは仰ぎ立てて一生頼らないといけない者なのに、こんなことをしていたのだよ!」
「なんということでしょうか」
与其妾訕其良人、而相泣於中庭。
その妾とその良人を訕(そし)り、中庭に相泣けり。
妻と妾はだんなの悪口を言い合い、あとは中庭で「よよ」と泣くばかりであった。
さてさて。
而良人未之知也、施施従外来、驕其妻妾。
而して良人いまだこれを知らず、施施として外より来たり、その妻妾に驕る。
「施施」は「喜悦のさま」。
このような状況のところへ、だんなさんはそのことをまだ御存知無く、にやにやしながら外から帰ってまいりまして、妻と妾に向かって、えらそうな顏をした。
―――のでございます。
・・・・・・・・・・・・
「孟子」巻八・離婁章句下より。(注:朱子は文章のアタマに「孟子曰く」が脱落している、と言っています。)
「わははは、ああオモシロい」
「エラそうにしておいて、お墓でコジキをしているなんてサイテーだね」
「やっぱり男はダメね」
と嗤っているひとがいたりするかも知れませんが、孟子がわざわざこんなお話をしたのは、
「オモシロいひとがいるもんですなあ。乞食はダメですなあ。おとこはダメですなあ」
と言いたいのではありません。
由君子観之、則人之所以求富貴利達者、其妻妾不羞也而不相泣者、幾希矣。
君子よりしてこれを観れば、人の富貴利達を求むる所以のもの、その妻妾の羞じずして相泣かざる者は、幾希(すくな)いかな。
賢者のよるべき道の観点から見てみると、人が富貴や出世を目指すために毎日やっている所行で、それを見た妻や妾が恥しいと思い、泣かないでいられるような行動というのは、ほとんど無いんじゃないですかなあ。
というのがこの「寓言」(たとえ話)の結論です。
つまり、この「良人」は、あなたが嗤うべき対象、ではなくて、「あなた自身」なんです。おわかりになりましたかな?
そしてジェンダーがあれしているゲンダイにおきましては、おんなどもよ、なんじらも今やこの「良人」と同じ立場なのであるぞ。
なお、妻・妾がそれぞれ「室」を持っているらしいこと、家に「中庭」があるらしいこと、墓地「墦」は城外にあるらしいこと、そこでは祭りがあって酒肉が用いられること、など、二千数百年前の日常が少し垣間見られてその点はオモシロい。
<以上、引用終わり> 漢文辺境・東洋古典ポストモダン 肝冷斎日録(http://www.mugyu.biz-web.jp/nikki.26.12.22.htm)<平成26年12月22日(月)のページより引用(長い引用で恐縮です)>

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補注:本題からは逸れるけれども、このエピソードは、小津安二郎の「生まれてはみたけれど」のお父さんをちょっぴり連想させる。

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