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儒教のノモス化・「論語微子篇」

2016年1月9日 土曜日

白川、孔子伝、中公文庫、1991年(オリジナルは中公叢書1972年)

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孔子の弟子たち(まとめ)・儒教のノモス化・「論語微子篇」

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1.子張篇にみえる五人の高弟たち:子貢・子夏・子游・子張・曾子

子貢:
子貢は衛の人であるから、孔子が衛に亡命中に入門した人であろう。孔子より三十一歳若く、顔回よりは一つ年上である。・・・子貢とは衛の地での問答が多く、これも亡命中のことであろう。・・・(中略)・・・心喪三年ののち、なお三年も仮廬(補註#参照)住まいをしていたのは、先師の記録の整理なども進めていたのであろう。「下論(論語の後十巻)」には、その資料を含んでいるようである。(同書、p265-266)

子夏:
子夏は衛の人。孔子より少(わか)きこと四十四歳ないし三十四歳。のち魏の文侯の師となり、儒家の教学はほとんどその学統から出ているといわれている。

子游:
子游は呉の人。孔子より少きこと四十五歳。魯につかえて武城の宰となり、・・・

子張:
子張は陳の人。孔子より四十八歳年少。禄のことを問うたり、聞達を気にするなど、世俗的な人物であったらしい。

以上、子夏・子游・子張の三子はいずれも、孔子最晩年の弟子である。(白川、同書、p267)

曾子:
鄒魯の学は、曾子によって代表される。孔子より少きこと四十六歳、魯の人である。孔子との関係では、「論語」にわずかに二条を録するにすぎない。その人は「參や魯(遅鈍)なり」(先進)と評されている。ところが他の一条では・・・・(中略)・・・ここでは子貢にまさる俊才とされている。他にみえる十三条は、すべて曾子の弟子が、師としての曾子の語をしるしたもので、「論語」の成立に曾子学派の占める地位の大きさを示している。・・(白川、同書、p267)
・・・
子張篇にみえる五人の高弟たちの間で、主として喪礼に関する意見の相互批判が行われたことが、「礼記」「檀弓篇」にみえる。(白川、同書、p267-268)

「礼記」や「論語」において、師号をもって有子・曾子とよばれるのは、この二人(有若・曾參)に限られている。(白川、同書、p269)

2.孟子:
政治論はかえって「いまだ孔子の徒たるをえざる」孟子によって展開される。(白川、同書、p269)

3.楚狂に近い南方の儒者:
しかし「下論」で最も注意されるのは、やはり「微子篇」であろう。「論語」のうち最も異質とされるこの篇に、かえって孔子晩年の巻懐の思想が、その余韻をとどめているように思う。もっともその伝承者は、・・・楚狂に近い南方の儒者であった。南方には・・・陳良の徒陳相とその弟辛(孟子・滕文公上)のような一派があり、また顔氏の流れを汲んだらしい荘周の一派がある。「論語」に「微子篇」を含むことの意義は、他のどの篇よりも大きいといってよい。それはノモス化した儒家の自己批判として受け容れられたと考えられるからである。・・・「論語」は、このノモス的な時代のなかで形成されてくる。使徒時代の伝承は、このような時代の派閥的利害によって歪められてゆく。あの琳琅(りんろう;補註##参照)たる老師のことばも、雑音にまぎれそうである。このノモス的なものを、根柢から突き破らなければならない。おそらく「微子篇」を加えたのは、そういう楚狂の一派であろう。そしてそのことによって、「論語」はわずかにその頽廃を免れるのである。孔子の精神は、むしろ荘周の徒によって再確認されているように、私は思う。(白川、同書、p269)

4.儒教のノモス化:
・・・儒教のノモス化は、孟子によって促進され、荀子によって成就された。それはもはや儒家ではない。少なくとも孔子の精神を伝えるものではないと思う。儒教の精神は、孔子の死によってすでに終わっている。そして顔回の死によって、その後継を絶たれている。イデアは伝えられるものではない。残された弟子たちは、ノモス化してゆく社会のなかに、むなしく浮沈したにすぎない。「論語」はそのような儒家のありかたをも含めて記録している。またそのゆえにわれわれは、孔子の偉大さを、そのなかから引き出すことができるのである。(白川、同書、p270-271)

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補注#: 仮廬 かりいほ
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
秋《あき》の野《ぬ》のみ草苅《くさか》り葺《ふ》き宿《やど》れりし兎道《うぢ》の宮処《みやこ》の仮廬《かりいほ》し思《おも》ほゆ 〔巻一・七〕 額田王 額田王《ぬかだのおおきみ》の歌

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補註##: 琳琅 りんろう
ウェブ辞書によると・・りん ろう -らう [0] 【琳▼ 瑯▼・琳▼ 琅▼】
一 ( 名 ) 美しい玉。また,美しい詩文などをたとえていう。 「芸術家は無数の―を見、無上の宝璐 (ほうろ) を知る」〈漱石・草枕〉
二 ( トタル ) [文] 形動タリ 玉などが触れあって美しい音を立てるさま。 「 - 璆鏘(きゆうそう)として鳴るぢやないか/吾輩は猫である 漱石」

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