アフガニスタンのクナール河取水堰

2016年2月17日 水曜日 曇り

山田堰と三連水車をモデルとしたクナール河取水堰とマルワリード用水路揚水車

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山田堰をモデルとしたアフガニスタンのクナール河取水堰

ペシャワール会報 No.124 (2015年7月1日発行)

中村哲 戦(いくさ)や目先の利に依らずとも多くの恵みが約束されている:2014年度現地事業報告 (ペシャワール会報 p2-15)

二〇一四年十二月、破壊と大混乱を残して欧米軍が去っていきました。あの軍事介入が何だったのか、「対テロ戦争」とは何であったのか、こころ穏やかにはなれません。「テロとの戦い」と言いさえすれば何でも正当化されるような狂気が、この十数年の世界を支配してきました。実際アフガニスタンでは、異を唱える者がテロリストの烙印を押され、容赦なく抹殺されていきました。その多くが国際テロ組織とは無関係な、弱い立場の人々でした。無差別爆撃による膨大な犠牲は、「二次被害」と呼ばれました。 イスラム教徒に対する偏見が意図的にあおられ、人々の間に多くの敵対が作り出されました。病的な残虐行為や拷問は日常でした。だが、欧米軍兵士もまた犠牲者でした。(補注*参照下さい)その多くは貧しい階層の出身で、社会的事情で志願し、半ば駆り出された人々でした。少しでも良心を持つ者の一部は、自殺に追い込まれました。・・・しかし、現地事業のおかげで垣間見える世界は、全く逆のものです。すこし目を開けば、戦や目先の利益に依らずとも、多くの恵みが約束されていることが解るからです。(中村、同会報、p2-3)

また行政側の理解が深まり、二〇一五年三月、アフガニスタンのドゥラニ農村復興開発省大臣が山田堰(福岡県朝倉市)を視察訪問し、飢饉対策の緊急性と灌漑の適正技術について意見が交換された。(同、p10)

アフガニスタンのどこでも、誰もが多少の資金と工夫でできるものを求め国内外の取水堰調査がされた中、山田堰に出会ったのです。・・一九五三年の大水害にも流出せず現存する「山田堰」を何回も訪れ、「傾斜堰床式石張堰」方式こそクナール河の取水堰と確信されたそうです。(山田堰土地改良区事務局長・徳永哲也「アフガニスタンの農村復興開発大臣を迎えて」、同会誌、p22)

アフガニスタンの農民と江戸時代の朝倉の農民は境遇が一緒
突堤式山田堰は一六六三年に築造されましたが、現在の山田堰が築造されたのは一七九〇年です。堀川用水路に一生をささげた庄屋古賀百工(ひゃっこう)により築造されました。一五歳以上の成人男子延べ六二万人から六四万人が豊かな実りを夢みて、水量が多く、流れも速い九州一の大河(筑後川)での難工事に身を投じ、総面積25,370㎡の傾斜堰床式石張堰が誕生し、水田面積も四八八ヘクタールに拡大しました。(徳永、同、p22-23)

三連水車モデルの揚水車マルワリード用水路で稼働
 一六六三年山田堰が築造されて一二六年後の一七八九年、高台の荒野に揚水するために朝倉の三連水車は造られました。
 二〇一三年一二月、朝倉の三連水車をモデルに揚水車一号・・二号機・・が稼働し一日合計二七〇〇トンの水をくみ上げ、マルワリード用水路周辺の高台の畑地五二ヘクタールを潤すことができるようになりました。ここにも朝倉の歴史的農業施設が活躍しています。(徳永、同書、p23)

このたびのPMS方式に対するアフガン政府と日本政府の認識と評価によって、アフガニスタン全土での将来的な展開が、現実的な視野にはいってきた。(事務局だより、同書、p24)

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補注:欧米軍兵士もまた犠牲者でした。・・・すぐに思い起こされるのは、カナダ人の外科医 ノーマン・ベチューン(白求恩)の生涯です。藤永茂さんのブログをご参照下さい。
http://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/m/201511

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