culture & history

日本人は、仏教を現世中心的なものに変容してしまった。

2016年2月5日 金曜日 曇りのち晴れ

中村元 日本人の思惟方法 中村元選集決定版 第3巻 春秋社 1989年

しかし人間がひとたび哲学的あるいは形而上学的な疑問を懐くならば、このような安易な信仰に、そのまま信頼し安心しているという状態を、いつまでもつづけることはできなかった。人々はなにかしらもっと奥深い人間の真実のすがたに触れたいと願うようになった。このような精神的要求に応じて、仏教が滔々(とうとう)と入ってきたのである。このような反省については、どうしても仏教のような硬度に発達した宗教にたよらざるをえなかったのである。(中村、同書、p38)

ところで、仏教が移入されてひろまるとともに、日本従来の現世主義的な思惟傾向は消失してしまったのであろうか。堰をを切られて氾濫した河水のように、仏教は短い時期のあいだに、日本のすみずみにまでひろまった。しかしながら日本人一般の現世主義的傾向を完全に改めることはできなかった。むしろ日本人は、大陸から受容した仏教を、現世中心的なものに変容してしまったのである。・・・奈良時代・平安時代を通じての仏教は、ほとんどすべて現世利益をめざしたものであり、祈禱呪術の類が主であった。(中村、同書、p39-40)

日本人の現世中心的な思惟方法は、仏教の教理をさえも変容させている。・・・仏教が現世中心的なシナ人によって変容させられ、それが日本に入るとともに、著しく現世中心的な色彩を濃厚にしてきた。日本仏教の多くの宗派は、凡夫といえども現世に悟りを開いて覚者(=仏)となりうるものである(即身成仏)ということを強調する。・・・最澄は「即身成仏」という語を用いている。このような思想は、仏教に古くからあるものであるが、この語を用いたのは、最澄が最初であるらしい。・・・シナ天台においては、実際問題としては現世成仏を許さなかった。・・・ところが、最澄が天台宗を日本に移入してから、一百年をも経過しないうちに、天台の学匠・安然は、現世において成仏しうるのはもちろん、一生のみの修行で成仏しうる、この身ながら仏となることをも許される、と説いている。(中村、同書、p40-41)

現世主義は日本真言宗の開祖・空海においても明瞭に表明されている。・・・衆生と仏とは平等であり、本性においては同一のものである。この道理を観察して、手に印契(いんげい)を結び、口に真言を誦し、心を統一するならば、衆生の身・口・意の三業が、そのまま絶対の仏の三業と合一するというのである。かれはとくに「即身成仏義」という書を著した。かれは「父母の生みたる身のままにて大なる覚りの位を証する」という密教の教説を主張している。(中村、同書、p42)

日本天台の発展でありまた密教の影響を受けているところの日蓮の教学が、即身成仏を強調したことは、いうまでもない。(同、p42)

平安時代の浄土教は、やゆあもすれば現実の生活をまったく無価値なものとし、遁世を第一条件とする傾向もないわけではなったが、法然の場合には、現実を肯定する方向に向かっている。・・・また浄土真宗においては、平生業成(へいぜいごうじょう)(平生に往生の業が完成する)の立場にたって、現世の生活のうちに絶対的意義を実現しようとする。往相に対する還相(げんそう)(かえるすがた)を重んずるのである。したがってこのような立場にたって、経典の語句に対してもかなり無理な解釈を施している。(同、p43)

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