literature & arts

前に古人を見ず

2016年9月9日 金曜日 雨

一海知義 漢詩一日一首 平凡社 1976年

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登幽州臺歌 陳子昂(ちんすごう)
前不見古人,
後不見來者。
念天地之悠悠,
獨愴然而涕下。

原文は碇豊長さんのサイトより http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/r74.htm

前に古人を見ず,
後に來者を見ず。
天地の悠悠(ゆうゆう)たるを念うて,
獨り愴然(そうぜん)として涕(なみだ)下る。(訓み下しは一海さん)

「悠悠」とは、悠久ということばがあるように、永遠に変わらず、微動だもせぬ姿の形容である。・・愴然とは、悲しみに打ちくだかれるさまをいう。(一海、同書、p384)

補注 今日は9月9日。新暦ではあるが、漢詩を読むべき日である。何とか一海さんの本(一海知義 漢詩一日一首 平凡社 1976年)を半ばまで通読できた。これから後半に進む。

補注 旧暦カレンダー 2016 によると、今年2016年の旧暦9月9日は、新暦の10月9日とのことである。その重陽の日には、また杜甫の登高を読むことにしよう。一海本では、494ページ。

以下の原文と読み下しは、碇豊長さんのサイトより引用:
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi2/rs175.htm

登高   杜甫 
風急天高猿嘯哀,
渚淸沙白鳥飛廻。
無邊落木蕭蕭下,
不盡長江滾滾來。
萬里悲秋常作客,
百年多病獨登臺。
艱難苦恨繁霜鬢,
潦倒新停濁酒杯。

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登高   
風 急に 天 高くして  猿 嘯(ゑんせう) 哀し,
渚(なぎさ) 淸く 沙(すな) 白くして  鳥 飛び廻(めぐ)る。
無邊(むへん)の落木は  蕭蕭(せうせう)として 下(くだ)り,
不盡(ふじん)の長江は  滾滾(こんこん)として 來(きた)る。
萬里(ばんり) 悲秋(ひしう)  常に 客(かく)と作(な)り,
百年 多病  獨(ひと)り 臺(だい)に登る。
艱難(かんなん) 苦(はなは)だ 恨む  繁霜(はんさう)の鬢(びん),
潦倒(らうたう) 新たに停(とど)む  濁酒(だくしゅ)の杯。
(以上、碇豊長さんのサイトより訓み下しも引用)

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「潦倒」とは、碌々(ろくろく)として何の役にも立たぬさまをいう。役立たずの人間になってしまったことへの自嘲に、やけ酒でもあおるのか、というとそうではない。今日、禁酒した、というのである。「潦倒新たに停む濁酒の盃」。  登高の日は、大いに酒を酌み、酔いつぶれる日である。その日に禁酒した杜甫の絶望は、深い。だが、深い絶望の中で、これだけコンパクトな構成と内容を持つ詩が作れた杜甫は、やはり強靱な人であった、といわねばならない。(一海、同書、p498)

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文学の根底にあるものの一つ、ひろくは人生の根底にあってそれを支えるものの一つは、人間の人間に対する誠実な愛情である、とするのは(吉川幸次郎)先生年来の主張である。(一海、同書、p389)

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