才能と徳行を区別する:小人と君子

2016年11月24日 木曜日 曇り

徳田本電子版全訳資治通鑑1 戦国時代

巻第一 周紀一 戦国時代の始まり 

臣司馬光が申しあげます。
 智伯が滅びた原因は、彼の才能が徳行より勝っていたからであります。才能と徳行は異なるものですが、普通の人間には区別できないので、賢明と称賛します。それが見誤る原因となります。聡明明察、意志堅固を才能と言い、公正公平、不偏不党、中庸穏和を徳行と言います。才能は徳行がなければ発揮できず、徳行は才能を制御します。・・・(中略)・・・ゆえに、才能徳行兼備のものを「聖人」と言い、ともにないものを「愚人」と言います。才能が徳行に勝っているものを「小人」と言い、徳行が才能に勝っているものを「君子」と言います。人材を選抜する方法は、もし「聖人」や「君子」を得ることができないなら、「小人」を採るより、「愚人」を採る方がましです。なぜでしょうか? 「君子」は才能を善行に使いますが、「小人」は悪事に使うからです。・・「愚人」は悪事をしようとしても知恵がまわりませんし、能力も足りません。・・「小人」は悪事を実行できるほど知恵が充分ですし、能力も暴虐を達成するほどありますから、虎に翼があるようなもので、その害悪は甚大なものになります。  徳行は人の尊敬をうけ、才能は人に愛されます。尊敬される人は疎んじられがちですが、愛される人は容易に親しくなります。ですから監査、観察する人は才能ある人にうまくしてやられ、徳行ある人を忘れ去るのです。いにしえより、国の乱臣、一族の堕落者は、才能あって徳行足りぬ者たちで、亡国没落の例は非常に多くあります。智伯にかぎりましょうか。ですから、国家の指導者がもし本当に才能と徳行の区別ができるなら、誰を選ぶべきか互いの後先がわかります。人材を失うのではないかと心配することはありません。(司馬光、徳田訳同書、巻第一 周紀一 戦国時代の始まりより引用。ただし一部の仮名表記を漢字表記に改めた)。

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補注 君子と小人:

加地伸行さんの苦心の訳では
小人 知識人
君子 教養人
となさっている。

司馬光風に訳すとすると
小人 才ある人
君子 徳ある人
となろうか。

もう少しひねれば、
小人 有才の人
君子 有徳の人
となろうか。

さらに、
小人 優才人(ゆうさい・びと)
君子 優徳人(ゆうとく・びと)
ではどうだろうか。

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補注 昨日のページに書いたローマのコリオレーナスは、訳者の倉橋健さんが述べられているとおり、愚人と言って全く問題ないが、上記の司馬光の分類からいうと才能の勝る「小人」ということになろう。・・「小人」は悪事を実行できるほど知恵が充分ですし、能力も暴虐を達成するほどありますから、虎に翼があるようなもので、その害悪は甚大なものになり、・・コリオレーナスは危うくローマを(その大発展の前に)滅ぼすところであった。
 ただし、ここでローマが滅びていた方が、後の世の人々の幸せや平和な発展につながっていたという可能性もある。が、そのような仮定をもとにあれこれ考察するのは、歴史学とは無縁の空論となるので、差し控えねばならない。

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補注 原文は以下の通り
http://angelibrary.com/oldies/zztj/001.htm より引用

臣光曰:智伯之亡也,才勝德也。夫才與德異,而世俗莫之能辨,通謂之賢,此其
所以失人也。夫聰察強毅之謂才,正直中和之謂德。才者,德之資也;德者,才之帥也。
雲夢之竹,天下之勁也,然而不矯揉,不羽括,則不能以入堅;棠溪之金,天下之利也,
然而不熔范,不砥礪,則不能以擊強。是故才德全盡謂之聖人,才德兼亡謂之愚人,德
勝才謂之君子,才勝德謂之小人。凡取人之術,苟不得聖人、君子而與之,與其得小人,
不若得愚人。何則?君子挾才以為善,小人挾才以為惡。挾才以為善者,善無不至矣;
挾才以為惡者,惡亦無不至矣。愚者雖欲為不善,智不能周,力不能勝,譬之乳狗搏人,
人得而制之。小人智足以遂其奸,勇足以決其暴,是虎而翼者也,其為害豈不多哉!夫
德者人之所嚴,而才者人之所愛。愛者易親,嚴者易疏,是以察者多蔽於才而遺於德。
自古昔以來,國之亂臣,家之敗子,才有餘而德不足,以至於顛覆者多矣,豈特智伯哉!
故為國為家者,苟能審於才德之分而知所先後,又何失人之足患哉!

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