チャペック わたしはなぜコミュニストでないのか

2016年12月22日 木曜日 雪(ないし雨)

カレル・チャペック いろいろな人たち チェペック・エッセイ集 飯島周編訳 平凡社ライブラリー90 1995年

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(チャペック、わたしはなぜコミュニストでないのか、同書、p227-245、1924年)

一般に、貧しい人はなにも失う危険がないといわれる。だが、それどころか、なにをどうしようが、貧しい人はつねに最高に危険な賭けをしているのだ。何かを失うことは、最後のパン屑まで失うことになるのだから。その貧しい人のパン屑については実験されていない。(チャペック、わたしはなぜコミュニストでないのか、同書、p233)

・・貧しい人たちを援助すべき時があるとしたら、もう今日にでも始めるべきである。もちろん、今日の世界にそのための道徳的援助手段が十分にあるかどうかは問題である。コミュニズムは、そんなものはないと言う。さてそこで、われわれが意見を異にするのはまさにこの否定の点なのだ。わたしは、現在のこの社会的なソドムの中に、完全な公正さが十分にあると主張することを望んではいない。しかし、ソドムの人間であるわれわれ一人ひとりの中には、ちょっぴり公正さが存在している。そして、われわれがさらに努力をし多くの手を握り合うことによって、完全に十分な公正さについて話し合うことができるだろうと信じている。・・・(中略)・・・貧しい人たちにとって、そしてわたしにとっても重要なのは、今日この場で少なくともどれだけの保護を与えられたかということであり、革命の旗がはためくその栄えある瞬間をわくわくしながら待つことではない。
 貧しい人たちの問題は今日の課題であって、次の社会体制になってからの課題ではないと信ずること、それは、もちろんコミュニストでないことを意味する。今日のパン一切れとストーブのぬくもりが、二十年後の革命より大切なのだと信ずること、それは、まさに非コミュニスト的な気質を意味する。(チャペック、わたしはなぜコミュニストでないのか、同書、p233-234)

・・貧しい人たちの心の底には、むしろ不思議な、この上もなく美しい陽気さがある。(チャペック、わたしはなぜコミュニストでないのか、同書、p235)

・・わたし自身は、習慣的にこの世を特別にばら色に塗り立てるべきだとは考えていない。しかし、コミュニズムの非人間的な否定と悲劇性に出逢うたびに、それは真実ではない、そのすべてはそんな風に見えない、と怒りに満ちた抗議の叫び声をあげたくなる。・・・(中略)・・・今日にせよ次代にせよ、人間の完全性をわたしは信じない。革命によっても、人類を削減することによっても、世界が良き天国になることはない。しかし、われわれ罪深き人間の一人ひとりの中に最終的には存在する良きものを、もしもなんらかの方法ですべて集めることができるなら、それにもとづいてこの世界を、今までよりもずっと人間にやさしいものに構成することができるだろうとわたしは信ずる。そんなことは頭の弱い人間の博愛精神だとおっしゃるかもしれない。その通り、わたしは人間なるがゆえに人間を愛する、愚か者の仲間である。(チャペック、わたしはなぜコミュニストでないのか、同書、p237-238)

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