チャペック 長い長いお医者さんの話

2016年12月19日 月曜日 晴れ

カレル・チャペック 長い長いお医者さんの話 中野好夫訳 岩波少年文庫 1952年(オリジナルのチェコ語版は1931年) 挿し絵はヨセフ・チャペック

・・それはつまり、光と空気と日光のおかげなのだよ。(チャペック、同書・長い長いお医者さんの話、p32)

どの妖精にしたってそうですが、今までのしごとをさっぱりよして、なにかほかの、もっと利口なしごとに商売がえをしなけりゃ、今の世の中では、とてもやってゆけませんからねえ。なに、その気になりさえすりゃあ、しごとはいくらでもあるもんですよ。(同書、p52)

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わたしは、あの手紙一つのために、一年と一日というもの、かけずりまわっていたわけなんですが、わたしはそのあいだに、いろんなものを見聞きしました。プルゼン、あるいはホルンツェやタボールででしたが、それはそれは美しいりっぱな国ですよ、あなた、この国は。(チャペック、同書・郵便屋さんの話、p95)

補註 この物語の中の郵便屋さんの放浪を読んでいると、宮澤賢治の「旅人の話」を彷彿させられた。賢治の旅人は、一年と一日ではなくて、生まれ変わって何世にもわたって旅を続けるのであるが、かれはそのあいだに、いろんなものを見聞きした。美しいりっぱな国々と人々に巡り会ったのである。チャペック童話の出版が1931年(昭和6年)のことであるから、賢治の旅人の話とほぼ同じ頃に発想されたのであろう。(賢治の1931年がどのような状況であったかは、以前のこのWEBサイト、「ヘンリー・ミラー:パリは娼婦に似ている」のページに記載したので、ご興味をお持ちの方はこちらも参照いただきたい。

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こんなふうに、カッパにむくようなしごとがいくらもあるものですから、商売替えするものがぞくぞくと出て、今までどおり水の底にじっとしているものは、だんだんすくなくなりました。(チャペック、同書・カッパの話、p104)

補註 民俗学的にカッパの起源をどこに求めるのか、一度調べて、整理してみたいと思う。(40年前に柳田国男の遠野物語などを読んでいた頃は、チェコにもカッパが出没することなど、思いつきもしなかったのである。)非常に特殊な獣(ケモノ)だけに、起源は単一ではないかというのが私の第一感である。(2016年12月21日追記)

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補註 2017年2月15日水曜日・追記
 比較的長篇の「王女さまと子ネコの話」を本日で読み終えて、この一冊を読了。
 チャペック氏には語りかけたい子供たちや人々、それもふるさとチェコから広がって世界中の子供たちや人々がいたのだ。

「最後に一等つよいポイントの札は、・・人が、まごころをこめて書いた手紙、これがそうなのです。だからこの札は、ほかのどの札よりもつよい。たとえばですね、コルババさん、母親が子どもにあてた手紙だとか、人が自分自身よりも、もっとだいじに思っている人にあてた手紙だとか、まあそういった手紙ですね。」(チャペック、郵便屋さんの話、同書、p68)

「コルババさんはずいぶん、いろんなことを知りました。村も見ました。町も見ました。野も見ました。森も見ました。美しい日の出や、日の入りも見ました。春がきて、やがてツバメのむれの帰ってくるのも見ました。まいた種が、やがてみのって、刈り入れられるのも見ました。森にはキノコが、野には梅の実が、熟れていました。ジァテツ州ではホップを、ムニエルニッツェ州ではブドウばたけを、トゥジェボン州ではコイを、そしてパルドビツェではしょうがパンを、見ました。しかし、もはや一年と一日がすぎてしまって、まだたいせつな手紙のぬしがわからない情けなさを考えると、さすがのコルババさんも、がっかりしてしまって、ふとある道ばたに腰をおろすと、つい思わず弱音がでてしまいました。(チャペック、郵便屋さんの話、同書、p83)

わたしは、あの手紙一つのために、一年と一日というもの、かけずりまわっていたわけなんですが、わたしはそのあいだに、いろんなものを見聞きしました。プルゼン、あるいはホルンツェやタボールででしたが、それはそれは美しいりっぱな国ですよ、あなた、この国は。(チャペック、同書・郵便屋さんの話、p95)(補註 2017年2月15日・再録、何度読んでも心をうたれる)

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