philosophy

荘周は人間存在の本質を考究した

2016年12月5日 月曜日 曇り

2016年12月9日 金曜日 雪(しんしんと降り続いている)

2016年12月14日 水曜日 どんよりと曇り のちお昼過ぎから晴れ

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鈴木修次 荘子 人と思想38 清水書院 昭和48年(1973年)

荘周哲学
「荘子」の本質
「荘子」思想の出発が老子にあることはいうまでもないが、それとともに他方楊・墨にもある。・・楊子学説の考えが、「荘子」思想の基底に横たわっていることはたしかである。  「荘子」は、人間の平等を説き、反戦を説く墨子から、また強い影響をうけた。・・墨子に発するこうした思想家群は、すべて反体制的立場をとる。それらの考え方を肯定し、血肉にした「荘子」は、したがって、そもそもが反体制的方向にたった思想である。ただ「荘子」は相対社会からの超脱ということを、その発想の基点にすえる。そのためにその思想は、脱体制の方向に向いていく。・・しかし「荘子」は、体制に即しての観念論を説くものでは、絶対にない。反体制に即しての脱体制を説くのであって、脱体制思想の元祖でもある。それゆえ、清談の思想と「荘子」とは通い合い、ヒッピーの哲学と「荘子」とは通じ合うものがある。  「荘子」の最初のすぐれた理解者である阮籍(げんせき)(210-263)は、「達荘論」において言った。荘周は存在の本質を考究したのであって、稷下(しょくか)の学者たちと辯を争ったのではない、と。その見解は正しい。稷下の学説をいちはやく咀嚼しながら「荘子」は、終始一貫、もっとも根源的問題である人間存在の本質を考え続け、ここに偉大なる知恵を確立させたのであった。(鈴木修次、同書、p148-149)

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補註 稷下(しょくか)の学士 ウィキペディアによると・・・
稷下の学士(しょくかのがくし)は、中国の戦国時代、斉の国都である臨淄に集まった学者たちである。臨淄の城門のひとつである「稷門」の近くに住んだことから、この名がある。

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