チャペック チェコスロバキアはどこへ行く?

2017年3月13日 月曜日 晴れ

カレル・チャペック コラムの闘争 ジャーナリスト・カレル・チャペックの仕事 田才益夫訳編 社会思想社 1995年(オリジナルは1920〜1930年代)

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市民戦争に関する寓話
歴史の一ページ = ・・外国の金と外国の軍隊により民族の名誉が保たれた。
自給自足 = 外国人と戦争して血を流すな。戦争は自分の国でやれ。
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悪魔 = わしはそういうものを称して戦争と言うとるんじゃ!
(LN・1936年、同書、p224-5より抜粋)

補註 チャペック氏の得意とするひねりの利いた一行アフォリズムである。(略号:NLは国民新聞、LNは民衆新聞に掲載されたコラム記事)

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チェコスロバキアはどこへ行く?
・・私たち自身が、私たちの一人一人が他の世界との競争に耐えうる力をもたねばならないのだ。世界のなかで民族として国家として自由な民主主義の国として立っていこうと欲するならば、世界の最良の国と同じくらいに、場合によっては、それ以上に働き、それ以上に生産しなければならない。同じくらいの、またはそれ以上の精神的価値を創造すること。同じくらいに、またはそれ以上によく組織されていること。同じくらいに、またはそれ以上に、国民の誰にたいしてもいい祖国であること。そして他のどんな国においてであれ実現された社会概念(コンセプト)と同じに、あるいはそれ以上によい社会秩序でなくてはならない。
 いかなる点においても中途半端で満足してはいけない。私たちの祖国は空間的には増大できない。だから数的に、自然によって与えられた人口増加をはみだしてはならない。ただ一つ、私たちに制限が加えられていないもの、それは民俗的質と効率である。私たちは縦横に広がることはできない。私たちに開かれた唯一の発展の方向は上の方向だ。絶えざるよりよいものへの道。できるだけ最良のものへの道。
 チェコスロバキアに唯一の生存の可能性として与えられたものは質的発展である。だから私たち全員が自分から最良のもの、最も有効なものを引き出すことが、とても大事なのだ。そのことはまた、私たち自身のなかで、それに私たちの環境のなかでそれをはばもうとするすべてのものにうち勝つよう努めることを意味する。(同書、p186-187)

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認識の精神と支配の精神(「現代」1936年)
技術の誤りとは言えないまでも、むしろ技術の無力さは別のところにあります。つまり、どんなものでも作れるとしても、純粋にポジティブに平和の道具となるべきものは何も作りえないということです。逆に、技術はだんだんと大きな物質的力を支配し、その力を増殖させ、蓄積し、いつでも破滅的な抗争のなかに投入しうるエネルギーの潜在力を恐ろしいまでに高めることになります。技術は要するに人類にたいして途方もない物質的手段を供給するが、それを用いて善をなすか悪をなすかについてはすでに最小限の影響力すらもっていないということです。(同書、p221)

・・人文科学はその性格において普遍的です。その普遍性はその実際の範囲にもその本質や使命にも基づいてはいません。私たちに世界を支配することを教えるのではなくて、世界を理解することを教える。さらにもう一つのこと、つまり相互に理解しあうことを教えます。その益するところはすべての民族に共通であり、すべての国境を越えています。・・・(中略)・・・思想の自由を守ることができるかぎり、人文科学はあらゆる時代にとって人間の自由の手段となるでしょう。普遍性、平和、自由、これは三つの大きな本源的理想であり、人文科学が自らに忠実であるかぎりこの三つの理想にたいして仕えることになるでしょう。
 ・・・(中略)・・・
・・支配の精神はいつでも暴力と破壊の道具になりうる莫大な力と手段を製造しました。今日は他のいかなる時代よりも多くの、もうひとつの力を動員する必要があります。世界の民族が相互に理解しうるための手段、すべての国境を越えた真理、人間存在や民族が支配の単なる対象となることを許さない思想の自由といった精神的価値です。今日、文化生活の均衡が破られています。支配の精神が認識の精神を危険なほど凌駕しています。私たちの努力と知的勇気をいっそう強めることは、精神文化に仕え、また仕えんと欲する私たちすべての双肩にかかっています。平和と自由もまた、自分の道具を必要としています。それを補給すること、それを手遅れにならないうちに補給すること、それこそが私たちの時代の最も緊急な課題なのです。(同書、p222-223)

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