ディケンズ エドウィン・ドルードの謎

2017年3月15日 水曜日 晴れ

ディケンズ エドウィン・ドルードの謎 小池滋=訳 白水社 2014年(本訳書は1977年に講談社版「世界文学全集」第29巻ディケンズ、1988年に創元推理文庫・東京創元社より刊行されている) 原書に添えられたルーク・ファイルズの挿し絵・全点が載っている。

The Mystery of Edwin Drood (原著はまだ未購入)

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抜かれた短刀
 さて、この会話の秘密のゼンマイを動かしている人間性の二つの奇妙な動きがある。ネヴィル・ランドレスはすでにローズバッドから受けた強い感銘のために、エドウィン・ドルード(彼女よりずっと劣った男)は自分が授かった宝を大事にしていないと腹を立てているのである。エドウィン・ドルードはすでにヘレナ・ランドレスから受けた強い感銘のために、ヘレナの兄(彼女よりずっと劣った男)がこのおれをこんなに冷ややかにあしらい、完全におれのことを無視していると腹を立てているのである。(ディケンズ、同書、p108)

補註 これはディケンズの遺作(1870年、未完)である。翻訳からもわかるが、今までのディケンズ本と地の文の文体が異なっている。戯曲のト書きのように簡潔に書かれ、現在形で終わっている。(対照的に、たとえば Great Expectations では主人公のピップ自身が語り手で、地の文はすべて過去形で統一されている。)
 この「エドウィン・ドルードの謎」以外にもこのような文体で書かれたものがあるのか、そしてなぜこのような文体が採用されているのか、とりあえず謎(宿題)としておきたい。

また、細かい話になるが、神の視点から叙述されている話法の合間に、時にオースティンばりの自由間接話法的な叙述形態も見られる。これは半世紀前のオースティンほどの洗練には到達していないようにも思われるが、私にとっては今後の課題である。というのも、原著を読んでいないので。

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欺すとか欺されるとかいうのは、まだ同じ価値体系を共通に信じている、精神共同体の担い手について言う言葉であって、この二人(クリスパークルとジャスパー)のように互いに目で見、声で聞いていながら、違う宇宙に住んでいる人間同士には使えない。クリスパークルはジャスパーの声の美しさをキャッチして評価した。そして、クリスパークルが、美は真実であり善であるとする倫理体系を信奉する宇宙に住み、ジャスパーがそうでない宇宙に住んでいたことが悲劇であったにすぎない。もっと大きな悲劇は、この小説の世界にあってはクリスパークルの宇宙が正常であって、ジャスパーの宇宙が異常な例外であると、はっきり作者が断言できないところにある。(小池滋、同書解説、p472)

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使用テキストについて
「エドウィン・ドルードの謎」は、オックスフォード大学出版局刊行の「クラレンドン版ディケンズ全集」(ジョン・バット、カスリーン・ティロットソンが主幹)に従った(1972年刊)。この版は各版の異同、草稿、校正などすべてを綿密に記したもので、ディケンズの作品の決定版としてもっとも信頼のおけるものである。(小池滋、同書解説、p475)

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補註 「未完の推理小説」なので、巻末の小池さんの解説がとても面白いのである。ただし、いわゆるネタバレになってしまうので、ここでは触れないこととする。

私にとってもう一つとても面白かったのは、この物語に登場する女性、ローザとヘレンが、ディケンズによく出てくるカリカチャー的な女性ではなく、きめ細やかな完成としっかりした理性とを兼ね備えた優れた女性として描かれていることである。(校長先生のトゥインクルトン女史や大家さんのビリキン女史など、いつもながらのディケンズ・キャラも健在ではあるが)。ディケンズも賢い女性が描けるように成長したのか・・それとももともとディケンズの得意とするところなのか、読書を進めるうちに明らかにしてゆきたいと思う。

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