バルザック ゴリオ爺さん

2017年4月1日 土曜日 晴れ

バルザック ゴリオ爺さん 中村佳子訳 光文社古典新訳文庫 2016年

小説の舞台は1819年のパリ。小説が書かれたのは、1834年。中村佳子さんの新訳は2016年9月発行。

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もしこの男(=ゴリオ)の心になにか生まれ持った感性があるとすれば、それはか弱い者を絶えず過度に保護しようとする傲慢さではなかろうか? この感性に、自分を気持ちよくしてくれるものに対して正直な人間が強烈に覚えるあの感謝の念、つまり愛情が合わさったと考えれば、彼のうちに山とある性格的に不可思議な側面も理解できるかもしれない。(バルザック、同書、p160)

そのがむしゃらな愛情によって犬的な本能が驚嘆の域にまで発達しているゴリオ爺さんは、学生(=ラスティニャック)の心のうちに自分に対する同情や感慨、若者らしい思いやりが動いたのを嗅ぎわけたのだった。(同、p212)

・・たしかにウジェーヌは、ゴリオの表現を借りれば、これまで会った誰よりも優しい青年だった。そしてこの若者が娘に彼女がずっと得られずにきた悦びを与えてくれるという予感があった。したがって老人は自分の隣人に次第に強い友情を覚えるようになった。この友情なくしてこの物語の結末を理解することはできない。(同、pp243-244)

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「やれやれ! だからなんです」ランジェ夫人が言った。「なるほど、たしかにひどい話かもしれません。とはいえ、そんなことは日常茶飯事でしょう。そうなるには、それなりの原因があったんじゃないかしら。なんです、ひどい婿だとおっしゃるの? どこにでもいる婿にすぎません。そういう男に嫁がせるために、あなたなり、わたしなりが、かわいらしい娘をそだてるのです。・・・以下、略・・・」(バルザック、同書、p137)

補註 ランジェ公爵夫人・・バルザックはこのランジェ公爵夫人を以て、ひとつの典型を上手に描いている。その体制や仕組み、その世界の悪や醜さを客観的に認識できる冷静な目を持ちながらも、批判評価を下すことは敢えて行わず、それらを既成の事実として丸ごと全面的に受け入れしたたかに生きていくことを選ぶ、そんな人物像である。パリの社交界の中に身を置けば、ランジェ公爵夫人となる。

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(ヴォートランがラスティニャックに語る場面): 「・・この世の事象をよくよく検討した結果、この世で取るべき立場はふたつ、馬鹿になって服従するか、反抗するかのふたつしかないと知っている人間だからね。おれはなににも服従しない、わかるだろう? ・・・以下、略・・・」(バルザック、同書、p187)

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(ラスティニャックは)腰を下ろし、それから深い物思いに沈んでいった。「美徳をつらぬけるのは、気高い殉教者だけだ! くそ! 美徳を信じているからといって、みんながみんな高潔だろうか? 人間は自由を憧れの対象にしている。しかしこの地上のどこに自由な人間がいるだろう? ・・・以下、略・・・」(同、p208)

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