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ディケンズ ドンビー父子(2)

2017年4月19日 水曜日 雨

ディケンズ ドンビー父子 田辺洋子訳 東京こびあん書房 2000年

  今では日も長くなっていたので、ポールは黄昏時になると、フローレンスの姿を求めてこっそり窓辺へ向かった。彼女はいつも決まった時分に、弟の姿が見えるまで往ったり来たりし、この互いの姿の確認は、ポールの日常生活の一筋の陽光となった。もう一つの人影が、日没後しばしば、博士の家の前を独り歩いた。彼(=父のドンビー氏)は今や土曜に彼ら(=ポールとフローレンス)と行動を共にすることも稀だった。それが耐えられなかったのだ。(補註*)彼はむしろ人知れずやって来ては、息子(=ポール)が大人へのパスポートを手にしつつある窓から窓を(補註**)見上げる方を好んだ。待ち、見つめ、企て、望む方を。
  おお、彼(=父のドンビー氏)に見えてさえいたなら、というかせめて人並みに見えていたなら! 階上のきゃしゃな、痩せ細った少年が、夕暮れ時になると波や雲に目を凝らし、鳥がかすめ飛べば、さながら負けじとばかり舞い上がりたがってでもいるかのように、独りぼっちの鳥カゴの窓に胸を突き当てているのが。(補註***)(ディケンズ、同書、p208-209)

補註* 「それが耐えられなかったのだ」
  父のドンビー氏は今のポールやフローレンス、現実の彼や彼女を分かり寄り添おうとはせず、10年後、20年後の息子ポール(ドンビー・the son)の理想完成形を「待ち、見つめ、企て、望む」方ばかりを想い描き、しばしば、ロンドンからブライトンまではるばると足を運んでは、息子の学び舎の前の通りを歩いたのである。その来たるべき理想型からはかけ離れている現在の息子(6歳とほんの少しの幼い子)の姿ありのままを愛することができないのである。現実の息子ではなく、大人になった息子のイデアのようなものを熱烈に愛していたのであろう。強烈な利己主義と言ってもよいだろう。いわんや、「ドンビー父子とは無関係」の娘のフローレンスの現在を思いやりそのまま愛するなど考え及びもしなかった。
  ドンビー氏は稀な変人か、と問われれば、そんなことはない。このような父親は、たとえば現代の日本の父親にも稀ならず認められる。「どんな赤ちゃんでしたか」、と問うと、「まるまる太って、太りすぎで動けないで転がっていただけだった」と答えるぐらいしか我が子の幼少時の思い出を持っていない父親が、いざその子が大学受験をする頃になると往々にして、医者か裁判官になること以外は絶対に許さない、などと干渉するのである。強烈な利己主義のために、現実の我が子の姿が目に入らないのである。赤ちゃんの時から見ようとしていなかったのである。
  ところが、ここで注意しておかなければならないのは、上記のような父親であれば恐らく決して我が子の寄宿学校を週末ごとに訪ねて息子のいるはずの窓を仰ぎ見たりはしないだろう、ということである。ドンビー氏はその忙しい仕事の傍ら、週末にはロンドンからブライトンまではるばると足を運んでは、息子の学び舎の前の通りに佇んだのである。身勝手な利己的な方向で息子ポールを愛していたとしても、その愛は非常に強いものであった。息子の真の姿に寄り添わないことでは共通でも、上記に私が例に挙げた日本の父親のようにややもすると息子に対して無関心であるのと、ドンビー氏の息子への盲愛ぶりとは、大きく異なるとも言えるのである。後者ドンビー氏は多く自己愛に起因するとしても強い愛であり、前者・日本のお父さんの息子を道具として必要な折りに利用する「愛を伴わない利己主義」とは、明確に分けた方がよいかもしれぬ。往々にして周囲の人々からは同じものと捉えられてしまいがちであるにせよ。

補註** 日本語で「窓から窓を見上げる」と言われると「窓Aから窓Bを見上げる・・look up the window B from the window A 」と読んでしまいそうだが、ここでの文脈上は、「窓AやBを見上げる・・look up this windows A and that window B 」と捉えた方がわかりやすそうだ。正解は原著が届いてからの宿題としたい。

補註*** 寄宿学校で学ぶ少年の心の描写・・ディケンズ文学の独擅場である(ジョージ・オーウェルもそう云っているように)。だから、ディケンズが好きだ、という人が多い。私もその一人である。

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