ディケンズ 二都物語

2017年5月27日 土曜日 雨(朝から午後まで、時にかなり激しく降る)

ディケンズ 二都物語 加賀山卓朗訳 新潮文庫 平成26年(2014年)(原著初版は1859年刊)

 ルーシーは青ざめ、震えていた。慰めようとするシドニーも自分への絶望で満たされているので、このときの会話はほかのどこでも交わされないようなものとなった。
「もしあなたが、ミス・マネット、眼の前にいるこの男ーー見捨てられて、くたびれ果てた、飲んだくれの哀れな男ーーの愛に応えてくださったとしたら、たしかに幸せではありますが、この日このときにも、あなたに惨めさと悲しみと後悔をもたらすことに気づくでしょう。あなたを弱らせ、辱め、自分ともどもひきずりおろしてしまうことに。あなたがこの男になんの愛情も抱けないことはよくわかっています。愛など求められた義理じゃない。愛していただけないことに感謝したいぐらいです」
「たとえそうだとしても、あなたを助けられないのでしょうか。ミスター・カートン。また失礼なことを申しますが、あなたの人生をよりよい方向に導くお手伝いができませんか。わたくしがあなたの告白にお応えする方法はないのでしょうか。いまのお話は告白と考えてよろしいですね」少しためらったあと、彼女は心からの涙を流しながら、穏やかな声で言った。「あなたがほかの誰にも明かさないのはわかっています。わたくしのほうで、それをなんとか、あなたの役に立てられないでしょうか、ミスター・カートン?」
 彼は首を振った。(同訳書、p265)

「・・・死ぬときには、自分に対する最後の正直なことばをあなたに聞いてもらい、この名前も、欠点も、惨めさも御心のなかにやさしくとどめてもらったという、たったひとつの神聖な思い出を胸に抱いていける。そのことについてあなたに感謝し、祝福を祈ります。あとのことは気になさらず、どうかお幸せに!」(同訳書、p268-9)

「・・・つまりおれは、あなたと、あなたが愛する人のためなら、なんでもするということです。もし生活がもう少しまともで、人のために犠牲になれる余地や機会がわずかでもあるなら、あなたと、あなたが愛する人たちのために、喜んで犠牲になります。・・・以下、略・・・」(同訳書、p269-70)

補註 シドニー・カートンーー私が子供の頃(恐らく小学低学年)に見た「二都物語」の白黒映画映像・・それは異常に感銘深く、幼い私の心に強いインパクトを残し、この不幸な、気高い行いの青年の名前を、忘れられないその結末とともに、50年以上を経た今になってもそのまま呪文のように覚えているのである。
 上記に引用した場面は、シドニーがルーシーに愛を打ち明ける場面である。まさに「ほかのどこでも交わされないようなもの」である。空でホバリングするヒバリでさえ、あるいはネズミを捜して地を歩く狐でさえ、恋人に求愛する場合には、自身をある程度つくろい、相手にとってある程度は価値あるものと(自分を欺してでも)認めて、ある程度の成算ありとして求婚を決意するものである。ところが、シドニー・カートンには、その愛する気持ちには嘘偽りも衒いもないものの、ヒバリや狐にさえも当然であるはずの相手を前にした身繕いや相手に相応しいはずの自分に対する思い入れや自信が、表面上すっかり欠如している。このような愛の告白は、あり得ない。・・あり得ない設定ではあるものの、むしろそれ故にこそ、読む人に強烈な衝撃と感動を残さないではいない。これこそがシドニー・カートンという人物に相応しい行いであるし、そのような稀にも見られない人物を(たとえ扁平な一枚のカリカチャーであったとしても)創造してしまえることが、ディケンズという特異な小説家の真骨頂と言えると思う。

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補註 映画「二都物語」ウィキペディアによると・・・
「二都物語」 – 1957年、イギリス映画 ラルフ・トーマス監督 カートン:ダーク・ボガード、ルーシー:ドロシー・テューティン (補註:私が見たのは、NHKテレビなどで放映されたものであろう)

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