長恨歌 此恨綿綿無絶期(2)

2017年5月12日 金曜日 晴れ

下定雅弘 長恨歌 楊貴妃の魅力と魔力 勉誠出版 2011年

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天長地久有時尽 此恨綿綿無絶期 

天長く地は久しきも時有りて尽く、此の恨みは綿綿として絶ゆる期(とき)無し

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 あるいはまた角度を変えて、「歌」の最後の二句について、こうも思う。・・・(中略)・・・そして実は白居易のこの二句もまた、いやこれこそは、王朝(皇帝権力)からの個人格の相対的独立をめざす、後に確立する白居易の思想(独善)を背景として出ているものであり、愛という個人の感情の深さに対する強い感嘆を言い放ったものとして、中国の知識人の人生観・社会観の発展史における画期をなすものだと思う。この観点からも、「長恨歌」の最後の二句を、私は貴妃を失った玄宗の痛恨の表現であり、同時にこれに共感する白居易自身の深い詠嘆だと見るのである。(下定、同書、p146)

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しかし、私は、「歌」「伝」には、「思凡譚」は適用できないと思う。「歌」「伝」において、貴妃はたしかに、死後、仙界の女仙と成っているのだが、玄宗は終始一貫して、人界の人間であり、「歌」も「伝」も、仙界と人界とのこの断絶を絶対のものとしていると見る。(下定、同書、p148)

 ・・・他の話において二人がハッピーエンドを迎えることはある。それは、それぞれの作品の問題である。
 「歌」は、果たされぬ愛への無限の悔恨を歌う、悲恋の物語である。だからこそ、愛の数々の悲哀を知る妓女たちが、それを自分の身に重ねあわせて、「長恨歌」を愛唱したのである。(下定、同書、p153)

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・・ことに最後の二句「天長く地は久しきも時有りて尽く、此の恨みは綿綿として絶ゆる期(とき)無し」には、人間としての真実の情感を、他の何よりも限りなく価値あるものとする思いが、万鈞の重みをもって詠われている。(下定、同書、p157)

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