カメラがとらえた被曝者

2017年8月29日 火曜日 夕方また強い雨

樋口健二 これが原発だ カメラがとらえた被曝者 岩波ジュニア新書194 1991年

・・ましてクリーンで安全ならけっこうなことではないかと、単純に考えていたのです。
 ただひとつ気になったのは、「安全だ」「クリーンだ」「次代をになう第三の火だ」というバラ色の宣伝文句がかもし出す「あやしさ」でした。それは四日市で味わった「百万ドルの夜景」というバラ色の宣伝文句の裏に隠された悲劇のドラマを思いださせるからです。(樋口、同書、p43)

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・・岩佐さんは私に「一回こっきりの取材だったら迷惑です」と痛烈な言葉を投げつけてきました。私は打ちのめされるような衝撃を受けました。予想していたとはいえ、ショックでした。しかし、私には岩佐さんの気持ちがよく理解できました。自分はしっかり話を聞いて、真実をつかもうと思いました。(樋口、同書、p55)

・・一九七四年という時代は、原発を躍起になって推進していたときでもあり、すべてを「安全」で押しとおす原発管理体制を打破することはできませんでした。政府と日本原電はさまざまな「権威」を使って、第一審(大阪地裁)、第二審(大阪高裁)とも岩佐さんの訴えをしりぞけ、今日にいたっています。(樋口、同書、p59)

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・・被曝の事実はあっても、家族にすら被曝線量は知らされていません。かりに知らされたところで、年間五〇ミリシーベルトを超えていなければ国際放射線防護委員会(ICRP)で決めた数値だから被曝はありえないと開き直るのが、いま(補註:この本の執筆当時の一九九一年頃)の原発推進側の論理なのです。(同書、p76)

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・・するとその医者は「あんたら早く田舎へ帰ってくれ、カルテにほんとうのことを書いたらわしはこの町(補註:福島第一原発の近くの町、おそらく双葉町)におれなくなる」とおびえたといいます。原発管理会社の巨大な力が、原発現地の医者たちまでも圧迫している姿が浮かびあがってきます。(樋口、同書、p82)

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・・このような純朴な人たちを多数原発に送り込み、放射線被曝を宿命とする労働がないかぎり、原発はやはり一日たりとも動かないのです。(樋口、同書、p98)

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私はあくまでも労働者の視点に立ち、原発を見つめようとしています。原発側では、都合のよい場所だけを見せ、安全性を誇張したいと考えるにちがいありません。(樋口、同書、p116)

電気が不足するから、無資源国だから、原発が必要だと人々はいいます。しかし、そういう人も一度でも原発内の放射能うずまく労働現場に立ってみたら、ほうとうに原発が必要なのかと疑問がわくことでしょう。(樋口、同書、p129)

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