滅びの都:全体主義の終末的ディテール

2017年9月15日 金曜日 晴れ

滅びの都:全体主義の終末的ディテール

アルカージイ・ストルガツキー ボリス・ストルガツキー 滅びの都 佐藤祥子訳 群像社 1997年

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補註 原著の出版は1988年。書かれたのは1970-1972、1975、1987、とある。訳書で500ページにも及ぶ大作であり、実は読み始めたのは「ストーカー」を読んだ直後、おそらくは2年ほども前のことであるが、なかなか読み進めにくく、今ようやく全篇を読み終えたのである。

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われわれが作品の構想を練りはじめたのは1968年で、この小説がわれわれの存命中に発表されることがまずありえないことは最初からわかっていた。(ボリス・ストルガツキイ、まえがきにかえてーー日本の読者へ、本訳書、p5)

これまでの理想はことごとくかき消え、足元を支えるイデオロギーは消滅した、だがこれから先も何とか生きていかなければならないーーただ飲んで、食べて、気晴らしをするだけでなく、何か大切な目的を追求し、生きることのなかに何か気高いものを求め、食べるために働くのでなく、働くために食べるのでなければならない。だが何のために? われわれの世界はどこへ行くのか? それはどうなるべきか? またわれわれはどうなるべきか? (同上、p6)

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よい造りだ、きれいだ、おれたちのよりよく出来ている。暮らしぶりも概ね悪くなかったらしい。だがそれでも消滅したんだ・・。・・・何年も暮らして、何年も建設して、自分たちのガイガー・・愛すべき飾り気のない人を賛美して・・。その結果がこのとおり、無だ。まるで誰もいなかったみたいだ。骨ばかりで、しかもなぜか、これだけの移住地にしては、数が少ない・・。こんなわけです、大統領閣下! 人間は予定を立てるだけで、神が何か波紋のようなものを放てば、一切はおじゃんになるのだ・・。(ストルガツキイ兄弟、同書、p433)

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「都市」のあり方をもっとも皮肉に寓意的に表している部分は、「都市」の住民が定期的に自動機械に職業と配置を決めてもらい、各人は同じ職業、地位に長くとどまることが禁じられているというくだりだろう。専門家をつくらない、つまり個々人を特性をもたない交換可能な部品にするということである。だが同時にそれとはまったく別にもうひとつの人事のシステム、幹部人事のシステムが働いており、それこそが最終的にすべてを統轄し決定していることも行間にはっきり語られている。(佐藤祥子、同訳書、解説p502)

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「全体主義」
・・ここには全体主義の終末的ディテールが暗喩のかたちでびっしり描き込まれ寓話の絵巻をかたちづくっている。
 まず動機は何であれ、地球上の各地から流れてきた個々ばらばらな人間たちが「万人の幸福」の実現という一つの「偉大な」目的のもとに個別性を無視してまとめられ、滅私奉公に働いている。このユートピア実現の道のりでは如何なる「なぜ?」もあってはならないーーという「都市」の設定は全体主義の設定そのものである。ここに「都市」の団結を固めるための仮想敵「アンチ都市」が付け加えられれば条件は完璧に揃う。(佐藤祥子、同、p502)

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