クンデラ 存在の耐えられない軽さ

2018年1月30日 火曜日 曇り

ミラン・クンデラ 存在の耐えられない軽さ 千野栄一訳 集英社 1993年(原書は1984年)

 自分の住んでいる土地を離れたいと願う人間は幸福ではない。そこでトマーシュはテレザの亡命したいという願いを罪人が判決を受け入れるように受けとめた。その判決に従って、ある日のことトマーシュはテレザとカレーニン(補註:雌犬の名;母はバーナード犬・父はシェパード)と一緒にスイス最大の町(補註:チューリッヒ)に姿をあらわしたのである。(クンデラ、同書、p35)

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 ・・人間の偉大さというものは、アトラスが自分の双肩に天空を負っているように、自分の運命を担っていることにあるようにわれわれには思われる。ベートーベンの英雄とは形而上的な重さを持ち上げる人なのである。
・・・(中略)・・・
 生徒は誰でも、物理の時間にある学問上の仮説が正しいかどうかを確かめるために実験をすることが可能である。しかし、人間はただ一つの人生を生きるのであるから、仮説を実験で確かめるいかなる可能性も持たず、従って自分の感情に従うべきか否かを知ることがないのである。(クンデラ、同書、p42-43)

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 トマーシュがチューリッヒからプラハに帰ったとき、自分がテレザと出会ったのは六つのありえない偶然によっているという考えが彼をいやな気分にさせた。
 しかし、ある出来事により多くの偶然が必要であるのは、逆により意義があり、より特権的なことではないであろうか? ・・ただ偶然だけがわれわれに話しかける。それを、ジプシーの女たちがカップの底に残ったコーヒーのかすが作る模様を読むように、読み取ろうと努めるのである。
・・・(中略)・・・
 必然性ではなしに、偶然性に不思議な力が満ち満ちているのである。恋が忘れがたいものであるなら、その最初の瞬間から偶然というものが、アッシジのフランチェスコの肩に鳥が飛んでくるように、つぎつぎと舞い下りてこなければならないのである。 (クンデラ、同書、p58-60)

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 そこには落下への克服しがたい憧れがあった。たえず繰り返すめまいの中で生きていた。
 ころぶ者は「おこして!」と、いう。トマーシュは彼女を我慢強くおこし続けた。(クンデラ、同書、p73)

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 人生のドラマというものはいつも重さというメタファーで表現できる。・・・(中略)・・・ 彼女(=サビナ)のドラマは重さのドラマではなく、軽さのであった。サビナに落ちてきたのは重荷ではなく、存在の耐えられない軽さであった。
 これまではそれぞれの裏切りの瞬間が裏切りという新しい冒険に通ずる新しい道を開いたので、彼女を興奮と喜びで満たしてきた。しかし、その道がいつかは終わるとしたらどうしたらいいのか? 人は両親を、夫を、愛を、祖国を裏切ることができるが、もう両親も、夫も、愛も、祖国もないとしたら、何を裏切るのであろうか? (クンデラ、同書、p144)

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(モンパルナスの墓地で・・)・・その墓地は石に姿を変えられた虚栄であった。墓石の住民たちは(死後ものわかりがよくなるかわりに)生きていたときより愚かになっていた。その連中は自分の石碑に自らの重要性を誇示していた。(クンデラ、同書、p146)

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 ・・社会の最下層に自発的に降りた瞬間に、警察はその人への権力を失い、その人への興味を失うと、トマーシュは(正しく)判断した。このような条件の下では、彼がどのような声明文を書いても信用する者はおらず、従って印刷することはできないであろう。恥ずべき声明文の公表というものは、そもそもその署名者の地位の昇格と結びつき、降格とは無関係である。(クンデラ、同書、p221)

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・・有名なベートーベンのモチーフ Es muß sein! (クンデラ、同書、p224)
・・この同じモチーフが一年後にBeethoven String Quartet No 16 Op 135 in F major の第四楽章の基礎となった。

補註: Ludwig van Beethoven – String Quartet No. 16, Op. 135 – From Wikipedia, the free encyclopedia
ウィキペディアによると・・・
The String Quartet No. 16 in F major, op. 135, by Ludwig van Beethoven was written in October 1826[1] and was the last major work he completed. Only the final movement of the Quartet op. 130, written as a replacement for the Große Fuge, was composed later. The op. 135 quartet was premiered by the Schuppanzigh Quartet in March 1828, one year after Beethoven’s death.
The work is on a smaller scale than the other late quartets. Under the introductory slow chords in the last movement Beethoven wrote in the manuscript “Muß es sein?” (Must it be?) to which he responds, with the faster main theme of the movement, “Es muß sein!” (It must be!). The whole movement is headed “Der schwer gefaßte Entschluß” (“The Difficult Decision”).
It is in four movements:
1. Allegretto (F major)
2. Vivace (F major)
3. Lento assai, cantante e tranquillo (D♭ major)
4. “Der schwer gefaßte Entschluß.” Grave, ma non troppo tratto (Muss es sein?) – Allegro (Es muss sein!) – Grave, ma non troppo tratto – Allegro (F major)

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外科医であることは物の表面を切り開いて、その中に何がかくされているかをみることである。おそらくトマーシュは「Es muss sein!」の向こう側に何があるのか、別のいい方をすれば、人間がそれまで自分の天職とみなしていたものを投げ捨てたとき、人生から何が残るのかを知りたくて、外科医になったのであろう。(クンデラ、同書、p226)

トマーシュはその百万分の一を見出し、とらえたいという強い欲望にとりつかれていた。彼にはここにこそ彼が女に夢中になる理由があるように思える。(クンデラ、同書、p229)

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