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法然の独立不羈・専修念仏という教え

2018年2月15日 木曜日 雪

源空・念仏

ーー人は、欺き、欺かれ、傷つけ、傷つけられてまで、この世に生きながらえる必要があるのだろうか。この世こそ、修羅場であり、地獄だ。
源空は、自分を苦しめている心の影の核心に迫って行った。(町田、同書、p148)

一か月にわたる好相行:
・・無事、行を終えた源空は、阿弥陀堂を出た。堂から一歩出たとたん、山の緑が眼に飛びこんできた。そこに存在する、すべてのいのちが眩しかった。一本の野草、空に舞う鳥の一羽がまでが、同じ<いのち>を喜び、歌っているようにも感じられ、足元から全身を突き抜けるように、深い喜びが沸き上がってきた。(町田、同書、p156)

観無量寿経・「王舎城の悲劇」
ーー私という存在は、過去久遠劫(くおんごう)来の罪を背負っているだけでなく、時時刻刻に新たな罪を犯している。良心という父を殺し、慈愛という母を殺しているのだ。その途方もない罪でさえも、一念十念の念仏によって償われる。そう釈尊は、教えられたのだ。
それまでも源空は、観仏の体験を味わっていたものの、念仏にはさらに深い世界が広がっていることに、このときようやく気づいたのだった。(町田、同書、p162)

定善観の落とし穴は、幻覚にあることを、彼は「観経」を読んだときから、わきまえていた。しかしそのころには、寺の背後にある山道をたどり、谷川に至っても、樹木が宝樹に見えたり、谷の水が瑠璃色に見えたりすることが、たびたび起きた。(町田、同書、p169)

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2018年2月16日 金曜日 曇り

「畏れながら、宗派に優劣があるわけでなく、人がどう仏法を理解するか、その深さにこそ違いがあると存じます」
すると空海は何も言わず、法然に近づいてきて、彼の肩を抱いてから静かに消えた。
法然は、何事においても通説をそのまま受け入れるということはなく、異論の人だった。
弟子たちにも、学問の仕方について、つねに注意していたことがある。
「経典を学ぶときは、原典だけではなく、注釈書を読むことも怠ってはならない。でないと、経典理解に偏りが生まれる。
人は万巻の書を読み、知識を広げることが大切だが、決して著者の言っていることを鵜呑みにしてはならぬ。つねに古人の言説が正しいとは限らぬからだ。まちがいがあると判断するのなら、正々堂々と反論するとよい。
そのように自分で考え抜き、自分の言葉で表現していってこそ、学問を積むというにふさわしい」
若いときから法然には、独立不羈の気性があったが、それは学問の姿勢にも貫かれていた。そもそも専修念仏という教えも、それまでの念仏信仰と似て非なるものだったが、それも彼の独創的なものの考え方によるところが大であった。(町田、同書、p274)

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2018年2月16日 金曜日 曇り

大原談義
・・しかしながら、この末法の世にあって、最勝の教えを選ぶことよりも、自らの資質を素直に判断し、おのれに最もふさわしい教えを選び取るより、道はござらんように思います。(町田、法然の涙、p277)

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九条兼実
・・名号を称えるには、三つの心が欠かせません。
・・深い心、まことの心、そして往生を願う心のことです。(町田、同書、p282)

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