范蠡と陶朱公

2018年4月14日 土曜日 曇り
 
「史記」より<以下引用>
 
・・范蠡浮海出齊,變姓名,自謂鴟夷子皮,耕于海畔,苦身戮力,父子治產。
 
・・於是自謂陶朱公。復約要父子耕畜,廢居,候時轉物,逐什一之利。
 
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范蠡浮海出齊,變姓名,自謂鴟夷子皮,耕于海畔,苦身戮力,父子治產。居無幾何,致產數十萬。齊人聞其賢,以為相。范蠡喟然嘆曰:「居家則致千金,居官則至卿相,此布衣之極也。久受尊名,不祥。」乃歸相印,盡散其財,以分與知友鄉黨,而懷其重寶,閒行以去,止于陶,以為此天下之中,交易有無之路通,為生可以致富矣。於是自謂陶朱公。復約要父子耕畜,廢居,候時轉物,逐什一之利。居無何,則致貲累巨萬。天下稱陶朱公。
朱公居陶,生少子。・・・以下略・・・
 
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補註 鴟夷子皮(しいしひ)について:
白川静さんが詳しい解説を書かれていた。「孔子伝」だったかと思うが、今、正確には思い出せない。

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チェロと宮沢賢治

2017年12月12日 火曜日 晴れ

横田庄一郎 チェロと宮沢賢治 ゴーシェ余聞 岩波現代文庫(文芸276) 2016年(オリジナルは1988年・音楽之友社)

 ・・そいつらには、わたしは説明しないんだ。やはり、実際やったものでなければ解らない。わたしは、終戦当時の肥料の足りないころ、馬の糞を拾ったんだ。何でも本当のことを実施して肌に触れて骨に響いての実感が大切なんだ。やって見た人だって、言うことは必ずしも本当のことではないんだし。田のあぜで田を眺めているような描写じゃだめなんだ。そりゃ自分で田植えをしてみれば、その人の感じも変わってくるんだ。なんでもやってみる。それを賢治はやったんだ。(横田、同書、p113; 補註 「藤原嘉藤治氏に聞く」1974年 より引用されたもの。藤原氏は賢治全集の編纂に携わった後、1945年に岩手県東根山麓に入植)

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2017年12月13日 水曜日 曇り

「かくあらねばならぬ」と自らを鞭打つ音楽家ベートーヴェンに賢治が魅かれていったのに対し、「紙を長くしコーヒーを呑み空虚に待てる顔つき」(「農民芸術概論綱要」の「農民芸術の製作」)の都会のインテリは、存在することの哀しみをただよわせたモーツァルトに魅かれていたのである。「おれはひとりの修羅なのだ」という賢治がその存在の哀しみにとどまっていたら、守護神になれない修羅のままなのだ。賢治はこの時代、かくあらねばならぬ「運命」に衝き動かされていたといってもいいだろう。文字通りの心象スケッチであった。(横田、同書、p208)

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Hastings, The Secret lives of Somerset Maugham

2017年3月27日 月曜日 晴れ

Selina Hastings, The Secret lives of Somerset Maugham, John Murray, 2009

オーディオブックは、私が簡単に捜した限りでは、今のところ出版されていないようである。

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補註 本書はモームの伝記の最新版。

補註 モームのお母さん:
 本書にはモームのお母さんの写真が一枚掲載されている。’The charming and beautiful Edith Maugham’、モームのお母さんの写真を見たのはこれが初めてである。たとえば、オースティン本を何冊も読み進めていても、 pretty とか、 handsome とかいう表現にはしばしば出会うものの、めったに charming とか beautiful という形容詞には出会えない。
 ’Edith Mary Snell, a ravishing young woman sixteen years his junior’ (ibid., p2) という形容で初登場する。彼は、モームのお父さんのロバートで、パリのイギリス大使館で仕事をする事務弁護士、当時39歳。ということは、エディスは23歳の頃となる。美女と野獣のカップルである。
  ravish は、三省堂英語語義語源辞典によると、(通例受身で)人を狂喜させる、うっとりさせる、物を無理に奪い取る、語源は「ラテン語 raopere (=to seize by force) から派生した古フランス語 ravir (=to ravish) の語幹 raviss- が中英語に入った」とのこと。a ravishing young woman は、美しさに関して、動的な表現であり、その最上レベルの形容と言えるだろう。
  ‘Such a eulogy almost certainly owes more to flattery than fact — however cultured and charming, it is unlikely that an English solicitor’s wife would be received by the Duchesse de Guermantes — but it is nonetheless clear that Edith Maugham was a woman of exceptional allure.
 allure は動詞として、「えさなどでおびき寄せる、魅惑する」、名詞として「魅力」。上記の ravishing とほぼ同じ効果を持つ名詞表現であろう。

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チャペック評伝:独創性は、次の財産を作るために利用されるべきだ

2017年1月7日 土曜日 晴れ

飯島周 カレル・チャペック小さな国の大きな作家 平凡社新書 2015年

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カレル・チャペック自身について
「(文学的)独創性は個人の財産ではなく、次の財産を作るために利用されるべきであり、わたしは自分自身のために作品を書いているのではない」(カレル・チャペック自身について1925年、飯島、同書、p36)

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カレルの「お話」に関する考え方
「お話」とは「楽しい語り」であり、何よりもまず「行為」、すなわち言葉による「創造的行為」であって、現実の存在または非存在には依存しない世界を作り出せる、とする。(お話の理論1930年、飯島、同書、p47)

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モンテーニュの試みの書「エセー」

2017年1月5日 木曜日 雪

大久保康明 モンテーニュ 人と思想169 清水書院 2007年

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モンテーニュの試みの書「エセー」

「試し」= essai(エセー)

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開かれた態度としての懐疑
・・そして今日では、コペルニクスがこの説を立派に根拠づけ、あらゆる天文学的結果に適合するようそれを用いている。だが、ここからわれわれが学ぶべきは、これら二つの説のうちどちらが正しいかという問いは重要でないということである。それに、今から千年後、第三の意見が出て、先の二つの意見を覆さないとは限らないのではないだろうか。(エセー「レーモン・スボン弁護」、同書、p135)

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モンテーニュの文体
 わたしの好きな言葉使いは、口に出しても紙に書いても同じような、単純で、自然のままの言葉使い、充実して力強い、短くて引き締まった言葉使い、・・スエトニウスがユリウス・カエサルの言葉使いをそう呼んでいるように、兵士風の言葉使いである。・・新規な言い回しや聞き慣れない言葉を探し回るのは、子供っぽい、学を衒った野心から来ることで、私はといえば、できればパリの中央市場で使われる言葉だけで済ましたいくらいだ(一,二六)(同書、p160-161)

鋭い逆説的表現
モンテーニュの文体: その変化の幅の広さがその特徴をなしている(同書、p169)・・淡々とした文章のところどころに、強調をねらった畳みかけ、緊張感を孕んだ対比的表現、意外な観念の結びつきを示す言葉遊びなどが挿入される。(同、p169)

 何度わたしは、罪より罪深い非難を目にしたことか(三,一三)

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