philosophy

善人から脱したいと願う者

中島義道 善人ほど悪いやつはいないーーーニーチェの人間学 角川文庫 2010年 キンドル版は2014年

2015年3月19日 木曜日

今回はキンドル版で買ってその日のうちに読んでしまった。いつもの中島節を思い出してしまった。ただし、ここ4年間は全く中島さんの著作から遠ざかっていた。本文の中で、中島さんが著作している現時点(2010年)の前の年の春(2009年)で大学を退職されたことを知った。定年退職なのか、思うところあって電通大から早めにお退きになったのか、そのうちにどれかの著作をとおわかることもあろうかと思う。(脚注*を参照)

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以下、引用:

高貴な者をあくまでも「理念」としてとらえるとき、読み手の清潔さは保たれる。だから、この箇所も「真に高貴な者なら、高貴でないものを隷属させ犠牲にさせてよいであろう。しかし、そういう者は人類の歴史始まって以来現実にはいなかったのだ」と解するのが妥当である。
善人=弱者を批判する者は、善人=弱者を完全に脱しているものではない。そうではなくて、善人=弱者から脱したいと全身で願うものである(これはオルテガの「エリート」の定義に呼応している)。そして、その分だけ純粋な善人より少し優れているのだ。
・・・見たではないか。「野生のイヌ」でしかない者が、畜群を笑っている滑稽さ、悲惨さを! そして、これは私の読みであるが、ニーチェ自身は自分を超人と同一視しないだけの良識を最後まで具えていた。だから、彼の文章には力があるのであり、だから彼の文章は清潔さを保っているのである。(中島、同書キンドル版、位置No.1660/67%)

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脚注* 2015年4月1日 追記: 2008年の時点ですべての学会から退会、あと3年を余しての2009年3月の早期退職に向けて準備されている。「いまごろやっとわかったが、学会や大学とは学問する場だが、所詮自分は学問に向いていない。学問しない者が学会にいることはおかしいし、大学にいることはもっとおかしい。潔く「自由業」に身を転じるべきなのである。(中島、人生に生きる価値はない、キンドル版 68% No.2014 より引用)

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