学ぶこと問うこと

不幸な親子関係の歴史を書き記すこと

2015年5月10日 曇りときどき晴れ、風強く寒く、ときどき雨がぱらぱらと降る。

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Sさんへのメールより:

・・・覆い隠すのではなく、言葉にして声に出して話してみてはいかがでしょうか。言葉にすることによって、そして他者に語ることによって、今まで語れなかったもの、恐れて封印していたものも客観的に眺めることができ、それを乗り越える第一歩が踏み出せると思います。

 短時間では語り尽くせるものではありません。あとからあとからいろいろと出てくるでしょう。

 自分にとってトラウマになっているような親子関係を自己弁護することなく細部まで思い出し、その全体像を繰り返し反芻すること、自らの親子関係の愚かしさ醜さを直視し続けること、それが自分自身を見いだし、自分自身の不幸な親子関係の歴史を書き記し、「救い」へとつながってゆく自然な道筋のように思われます。

・・・中略・・・

 決して簡単に客観的に眺められるようになると思えませんし、ましてや易々と乗り越えられるものになるとは考えられません。それでもYさんが亡くなって仏様になるための修行を開始されたこの5月をスタート地点として、私たち固有のYさんとの関わりの歴史を私たちも正しく眺め正しく乗り越えてゆくことがYさんの供養になるのではないでしょうか。

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上記の中で、「自分にとってトラウマになっているような・・・云々」は以前わたしのWEBサイトで引用させていただいた不生庵さんの文章のパロディである。つまり、自分自身の「愚行」の代わりに「親子関係」を入れて若干の手直しを試みたもの。

このところ二週間以上にわたって実践哲学道場で修行しているような日々を過ごしている。

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