literature & arts

青い鳥と母の愛 

メーテルリンク 青い鳥 若月紫蘭訳 岩波少年文庫2002 1951年

母の愛 そんなものじゃないよ、これはね、キスと、だっこと、やさしい目つきでこしらえてあるんですよ。おまえがキスしてくれるたびに、月の光か、日の輝きが、一つ一つ、その着物についてくるのだよ・・・
チルチル おもしろいなあ、おかあさんそんなに、お金持ちだとは思わなかったよ。いままでどこへかくしていたの? ・・・(中略)・・・
母の愛 いいえ、いいえ、わたしはいつも着てるんだよ、でも、だあれも、気がつかないんだよ、だって目をつむっていると、なにも見えないんだからね・・・おかあさんていうものはだれでも、子どもをかわいがる時はみんな金持ちなんだよ。貧乏なのも、みっともないのもなけりゃ、年なんかとりゃしないよ。かあさんの愛っていうものは、よろこびの中のいちばんきれいなものだからね。そうして、いちばん悲しそうに見えるときでも、キスしてもらうか、(キスして)やるかすりゃ、涙はみんな目の中で、星にかわってしまうのだよ。
・・・(中略)・・・
母の愛 家ではね、いそがしすぎて、ひまがないんだよ・・・でもね、口ではいわないことでも、耳ではちゃんときけるんだよ・・・さあ、おまえ、わたしを見たんだから、あした、家に帰って、ぼろをきたわたしを見ても、こんどは、ちゃんとわかるだろうね?(同書、p176-178)

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このドラマのなかでおそらく一番のクライマックスの場面だと思う。もし子どもの頃にこの演劇を観ることができていたら、きっと私もこの場面で「真実」を掴んだことと思う。

が、本当に真実か? ここで子供たちに真実と思い込ませてしまうことが本当に良いことか? 少なくとも一部の不幸な子供たちにとっては、この場面を真実ではないと照らし出すことこそが「本当の幸せ」を見つけるための鍵になるのではないか。

その結婚において幸せでない母が、ここで幸せな母を演じきることができるであろうか? 幸せでない子どもは、その不幸せの源泉を見誤ることにならないだろうか。

初めて読んだこの「青い鳥」が、今の私には、私自身の不幸の源泉をたどるための道しるべになっていることに、今更ながら気づかされたのである。

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