茱萸(カワハジカミ)

2016年9月9日 金曜日 雨

一海知義 漢詩一日一首 平凡社 1976年

わが国では赤い実をつける「グミ」を茱萸(しゅゆ)と書くが、中国の茱萸は同じく赤い実をつけるものの、和名「カワハジカミ」または「ゴシュユ」とよぶ別の植物らしい。(一海、同書、p491)

明年 この会 誰か健やかなるを知らん
酔うて 茱萸を把(と)って 子細に看る
(杜甫、九日藍田の崔氏の荘 読み下しは一海さん、同書、p492)

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カワハジカミ かわはじかみ

【重陽】より  …菊は霊薬といわれ,延寿の効があると信じられ,この日,菊酒を飲むことも行われた。また,茱萸(しゆゆ)(カワハジカミ)の袋を柱に菊とともにつけ,悪気を払う風習もあった。5月5日の薬玉を,この日に茱萸袋ととりかえるのが平安時代の後宮で行われている。…(https://kotobank.jp/word/カワハジカミ-1294584 より引用)

デジタル大辞泉の解説
ご‐しゅゆ【呉×茱×萸】 ミカン科の落葉小高木。葉は7枚または9枚の小葉からなる羽状複葉。雌雄異株。初夏、緑白色の小花が集まって咲く。赤い実は漢方薬として頭痛・嘔吐(おうと)に用いられる。中国の原産で、日本には享保年間(1716~1736)に渡来。(https://kotobank.jp/word/呉茱萸-より引用)

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以下、http://www.nippon-bunmei.jp/topics/saijiki/長月(9月)%E3%80%80中国伝来の「重陽」・「月見」%E3%80%80.html より引用: 中国に伝説があります。むかし、仙人が弟子に、“今年の9月9日にお前の家に災難がある。家の者に嚢(ふくろ)を縫わせ、それに茱萸(しゅゆ、和名:カワハジカミ)を盛って臂(ひじ)にかけ、高い処に登って菊花酒を飲めば災禍(さいか)を免れる。”と云うのです。弟子がそのようにすると家人は災難を免れたが、家畜が身代わりになって死んでいたという説話です。また、菊慈童(きくじどう)という稚児が菊の群生する山あいに流罪となり、お経の一説を菊の葉に書いてそこから滴る夜露を飲み、童顔のまま800歳まで生きたという伝承があり、これが習合して重陽の節供の起源となります。
 ちなみに日本にはそれまで菊は自生しておらず、奈良時代に薬用として伝来したようです。日本書紀には、685年に天武天皇がこの重陽の宴(うたげ)を催したと記されています。その後は、天皇の帳(とばり)の左右に茱萸を入れた袋をかけ、菊瓶を置き、茱萸の小枝を頭に挿した群臣が詩歌を詠み、歌舞を奏で、菊酒を賜わる節会(せちえ)となります。さらに菊慈童の故事に倣(なら)い、重陽の前夜から菊の花に真綿(まわた)をかぶせて菊花の香りと露を移し、それで身体を拭う「菊の着せ綿」という習慣にもなります。仙境に咲く菊にあやかり、老いを拭い、若返りと長寿の効能があるとされました。(以上、http://www.nippon-bunmei.jp/topics/saijiki/長月(9月)%E3%80%80中国伝来の「重陽」・「月見」%E3%80%80.htmlより引用)

補注 上記引用などから、菊がわが国にもたらされたのは天武の時代(奈良時代よりも少し前)、西暦685年(天武14年)「菊瓶を置き、茱萸の小枝を頭に挿した」とのこと。何をきっかけにこのような儀式が始まったのか、「書紀」を読んでみたいところだが、大海人皇子の出自によっては、大海人・天武自身はもっとずっと前から茱萸の小枝を挿したことがあったかと思われる。王維や杜甫が重陽の日に登高したのよりも何十年も(百年ほど)前のことである。(2016年9月9日追記)

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