晩年の杜甫の放浪:人間存在の問題とその抒情

2016年11月23日 水曜日 晴れ

鈴木修次 杜甫 人と思想57 清水書院 1980年

杜甫芸術完成への旅
五四歳の五月、家族をともなって草堂を離れ、以後水上で死去するにいたるまで六年ほど、杜甫は人生最後の放浪の旅に出たのであるが、なぜそうした行動をとったかについては、安史の乱がおさまった時の五二歳の詩、「官軍河南・河北を収むるを聞く」と題する七律のおわりに、・・「・・便(すなわ)ち襄陽に下りて 洛陽に向かわん」と説明されていることから想像できる。・・成都から洛陽に向かうには、万里橋から乗船して揚子江を下り、三峡を経て水路を襄陽までとり、そのあと陸路をまっすぐ北にたどるほかはない。そのコースを利用して、杜甫は洛陽にもどろうとしたのであった。  しかしながら杜甫は、ついに洛陽にもどることなく、洞庭湖のほとりの潭(たん)州と岳州(がくしゅう)との中間あたりの水上で、五九歳のいのちをおえてしまった。なぜそうした事態になってしまったのであろうか。それはもっぱら、その日ぐらしの生活に追われていたので、まとまった路銀が入手できなかったからであった。それにまた、健康の問題もあった。・・・(中略)・・・ 杜甫は、病身と貧苦にあえぎながらも、しかしみずからに課した詩作をやめようとはせず、苦しい状況がつのればつのるほど、いちだんとほりの深い、人間存在そのものの孤独さを訴える、みごとな杜甫芸術を完成させていった。(鈴木、同書、p176-177)

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・・・最後の放浪の旅において作者は、自分の過去をふりかえって長篇の「人生の思い出」の詩を作るとともに、人間存在の問題とその抒情という、もっとも本質的な課題に、まっ正直に、ひたむきに、とりくんでいった。
 晩年の杜甫の放浪は、大まかにいって、雲安の時代(54-55歳)、夔(き)州の時代(55-57歳)、洞庭湖付近の放浪時代(57-59歳)の三期に分けて考えることができる。(鈴木、同書、p177-178)

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雲安(四川省雲陽県)の時代

忠州では、厳武の柩が揚子江を下って故郷の華陰県(長安の近くの地)に帰葬されるのを、悲しい思いで見送った。哭嚴僕射歸櫬「厳僕射(げんぼくや)の帰櫬(きしん)を哭す」と題する五言律詩は、その時のもの。・・「帰櫬」、故郷に帰ってゆく柩(ひつぎ)。杜甫はその詩の結びにうたった。
  一哀三峽暮,遺後見君情
  一哀(いちあい) 三峽暮る,後に遺されて 君が情を見る
 せいいっぱいの悲しみをたむけるうちに、しだいに三峡は暮れていった。あとにのこされたわが身、しみじみと厳君のありし日の友情が思いだされる。「一哀三峡暮る」とは、簡潔な表現であるが、むだのないみごとな表現である。 

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補注 原文を「唐詩宋詞網」http://tssc.timetw.com/ のウェブサイトより引用する
http://tssc.timetw.com/10566.html

哭嚴僕射歸櫬  杜甫

素幔隨流水,歸舟返舊京。老親如宿昔,部曲異平生。

風送蛟龍雨,天長驃騎營。一哀三峽暮,遺後見君情。

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「旅夜書懐」の詩
雲安にたどりつくまでの江上の作である「旅夜懐(おもい)を書す」

星垂平野闊,
月湧大江流。

星垂れて 平野闊(ひろ)く,
月湧(わ)いて 大江(たいこう)流る。

星はその光芒を平野にたれて、その平野はかぎりなく広がり、月は大江(たいこう)から湧き出たごとく金波をゆらめかせて、その大江は無限のかなたに流れてゆくという情景である。・・「平野」「大江」ということばは、星が垂れる場所、月が湧き出る場所として、補語として用いるとともに、次にはそれを「闊(ひら)く」「流る」の主語として転換させている。有限の文字数の定型詩において、ひとつのことばを両用のはたらきにおいて極度に圧縮させるという表現のくふう、そのくふうは以後の杜甫の詩に時折示される技巧であるが、まずこの詩において、こころみられた。
 この対句は、・・李白の若い時期の句、
   山は平野に随(したが)いて尽き
   江は大荒(たいこう)に入りて流る
を下敷きにしているかも知れないが、句の凝縮度や対句の緻密さにおいて、杜甫のこの対句の方がはるかにすぐれている。杜甫はこのとき、スケールの大きい詩人であった李白まで吸収してしまったということができよう。(鈴木、同書、p180-181)

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名豈文章著,
官應老病休。

名は豈(あ)に 文章もて著(あら)われんや,
官は應(まさ)に 老病にて休(や)むべし。

自分の名声は、文学などによって示されるべきものではない。官僚貴族のはしくれとして生まれ、儒者であろうことを志し続けた自分には、政治の世界で活躍することこそもっとも望ましい方向なのであるが、しかしもう年老いて病気がちな身、官途につくことは、おそらくもうやめにせねばなるまい。「文章」、今日のことばでいうならば文学にあたる、「応」、「まさに・・すべし」と日本では読みならわしているが、推量をあらわすことばである。(鈴木、同書、p181)

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旅夜書懷  杜甫

細草微風岸,
危檣獨夜舟。
星垂平野闊,
月湧大江流。
名豈文章著,
官應老病休。
飄飄何所似,
天地一沙鴎。

補注 原文は碇豊長さんのサイトより引用
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi4_08/rs288.htm

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