民俗学

吉野裕子 祭りの原理

2016年12月25日 日曜日 快晴

吉野裕子 吉野裕子全集 第1巻 扇/祭りの原理 人文書院 2007年(オリジナルは、扇の初刊が1970年、祭りの原理が1972年)

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祭りにおける「性」
「性」は日本人の信仰の中枢にあるものであって、この位置において「性」を見なければ日本古代信仰の本質は把握できない。(吉野、祭りの原理、同書、p168)

仮屋群
造ること、こもること、破壊することの三つが仮屋には必ずつきまとう。この三つをその本質とする膨大な量の仮屋群の存在の事実から帰納される処に、日本民族によっていだき描かれた宇宙観・世界像が浮かび上がってくるのではなかろうか。(吉野、祭りの原理、同書、p168)

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神のみあれを人間の生誕になぞらえていたと思われる古代人の考え方
・・樹木と石と砂という自然物をつかって彼ら古代人は、生命のよってきたるところのもの、男女両性のセジ(霊力)高いところまことに巧みにつくりあげた。(吉野、祭りの原理、同書、p185)

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・・こうして太陽と人間は「東から来るもの」、「常在しないもの」、「穴にこもるもの」の三つを本質とするものとして認識された。これらの性質は太陽と人間に共通する根源的な本質としてとらえられたが、同時にまた、太陽と人間だけに限らず、神の本質を表すものとしても同様に意識されたのである。・・・(中略)・・・彼らは目にみえぬはずの神さえ目にみえるものとしてとらえようとする。巫女の中に自らを現す神、それが私どもの祖先によって年々の折目節目に迎え送られた神であった。(吉野、同書、p384)

私の解釈するこもり(籠り)は、胎児が母の胎内で飲食もせず、その狭さ暗さに堪えてその時の満ちるのをまつ、その様相の擬きである。(吉野、同書、p384)

観念的であるはずの理想郷(ニライカナイ)が、島の人には海の彼方というはっきりした現実の形をとって示されている。そこからまず理想と現実がないまぜになり、神と人との境が希薄となる。沖縄、ひいてはわれわれ日本人のものの考え方、信仰のなかにみられる現実と想像の織りまざった二重性は、この現実の「海の彼方」への憧れにもとづくものであろう。(同、p386)

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