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家族主義的家族 vs 利己主義者集団の家族

2017年8月8日 火曜日 晴れ

加地伸行 沈黙の宗教ーー儒教 ちくまライブラリー99 1994年

 利己主義には大いなる道理に基づいての自律もなければ、自立もない。在るものは自己の利益の追求だけであり、利益に依存する受身的なものである。真の自立した個人主義者であるならば、己れの論理に忠実に従い、時には尊い生命を捧げることもあり得る。そういうりっぱな方が確かにいる。しかし利己主義は、どんなことがあっても絶対に自己の生命は差し出さない。
 日本の教育は、権利とともに義務をも重視する個人主義者を養成していない。小学校以来、義務はいやで権利ばかりを利益的に求める利己主義者を養成しているだけである。その結果、家族主義的家族を否定して個人主義的家族を作ろうなどという目論見はみごとに外れて、利己主義者の集団のような家族が急速に増えつつある。それは戦後日本の教育の無惨な失敗を示している。
・・・(中略)・・・
 ところが家族主義を否定し、しかし個人主義は身につけず、利己主義者として育ち生きる人々の大群を前にするとき、現在のみならず今後も含めて、老人は悲惨である。それが、個人主義的現憲法がもたらす<国民の幸福>なるものの実態である。(加地、同書、p261-262)

 その個人主義もキリスト教と結びついている間は、すなわち唯一絶対神と個人との関係が確かな間はそれなりに機能する。しかし、欧米では、キリスト教信仰を失った人々が増加しているというではないか。そういう人々は、個人主義と言っても、キリスト教徒という帰属感を持っていないのであるから、その個人主義はいずれ遠からず利己主義に転じてゆくことであろう。その極致は、自分を支えてくれるものとして金銭・財産に最高の価値を置く拝金主義である。(加地、同書、p263)

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