長恨歌 此恨綿綿無絶期(1)

2017年5月11日 木曜日 雨(かなり強く降り続く雨)

楊貴妃の魅力と魔力

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下定雅弘 長恨歌 楊貴妃の魅力と魔力 勉誠出版 2011年

補註 本書のカバー・表紙と裏表紙の美人の図は、上村松園「楊貴妃」(松柏美術館蔵)。

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天長地久有時尽 此恨綿綿無絶期 

天長く地は久しきも時有りて尽く、此の恨みは綿綿として絶ゆる期(とき)無し(「長恨歌」)

永遠といわれる天地でさえもいつかはほろびる時があるのだと常識をくつがえすことをいい、これに対して玄宗の貴妃を失った悲しみの深さとその永遠性は、天地の永遠性をも超える無限に深いものなのだと詠っているのである。(下定、同書、p139)

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この恨み長(とこし)えに在りて銷(き 補註:金偏に肖の字)ゆる期(とき)無し (「李夫人」)(下定、同書、p139)

「此恨」は、愛する女を失い、どれほど思っても二度ととりもどすことのできない、かれら君王たちの痛恨である。(下定、同書、p140)

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「此恨」ーー誰の恨みか?
 「歌」が、玄宗の貴妃を失った痛恨で終わること、その最大の理由は、最後の一句「此恨綿綿無絶期」の「此恨」が、玄宗の「恨」であり、玄宗の痛恨であるということである。そしてまた、主題が、玄宗の貴妃への愛の深さと貴妃を失った尽きることのない悲哀であるということの決め手でもある。(下定、同書、p137)

「歌」の結句が、貴妃の語ではあり得ないことは、「恨」の語の意味を、このように定めることで自ずと知れることである。「歌」の貴妃は、「天に在りては比翼の鳥と為り、地に在りては連理の枝と成らん」といっているのだから、その「愛」の希望をいう表現と、「恨」とが連なるわけがない。結びの二句は、別の人物、私はそれを、直接には玄宗の語であり、玄宗の語として白居易が深い詠嘆的共感をこめた二句だと見るのである。(下定、p141)

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「長恨歌」は「愛と死」の文学なのである。・・仙界譚は、「愛と死」のテーマを、これがあることによって鮮やかに体現している。・・では愛と死を扱う作品は、なぜ我々を感動させるのか? 私はこういっていいと想う。「死は愛によって永遠の生命を獲得し、愛は死によって無限に美しく切ないものとなる」からだと。(下定、同書、p72)・・玄宗は死ぬが、仙界の貴妃の心に永遠に生き続ける。ならば、玄宗の「此恨」も単なる痛恨ではない。二度と会うことのできない悲痛は、永遠性をそなえた美しい愛に昇華する。(同、p73)

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後段において、貴妃のイメージは一変する。玉妃は、透き通った「雪の膚」(八八句)を持ち、白く清らかな「梨の花」(一〇〇句)に喩えられている。翻って、前段の貴妃は、紅鮮やかな「芙蓉の帳(カーテン)」(一四句)に囲まれたベッドに横たわり、その顔は紅の頬を想わせる「芙蓉」に喩えられている。だが後段の玉妃は、地上の汚れとはまったく無縁な、清純そのものの仙女となった。その愛もまたひたむきで美しい。このような女性を愛する天子はやはりひたすらに健気に女を愛する男であり、その愛は限りなく純粋で美しい。(下定、同書、p71)

補註 芙蓉は「長恨歌」では蓮の花を指している。「木芙蓉」のことではない。
芙蓉について ウィキペディアによると・・・
植物の名。フヨウのこと。とくに蓮と区別するためには「木芙蓉」とも言った。
古くは往々にして蓮(ハス)の花を指した。美女の形容としても多用された表現である。フヨウと区別するために「水芙蓉」とも。<以上、ウィキペディアより引用終わり>

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補註 上村松園 ウィキペディアによると・・・
上村 松園(うえむら しょうえん、1875年(明治8年)4月23日 – 1949年(昭和24年)8月27日)は、日本画家。京の伝統文化に育まれた松園は、明治・大正・昭和を通して生涯、「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵」、「真・善・美の極致に達した本格的な美人画」(いずれも松園のことば)を
念願として女性を描き続けた。
「楊貴妃」 … 1922年(大正11年)

補註 松柏美術館 ウィキペディアによると・・・
松伯美術館(しょうはくびじゅつかん)は、奈良県奈良市にある奈良県の登録博物館で1994年3月開館。
日本画家の上村松篁・上村淳之から寄贈された作品をコレクションの基礎にして、近畿日本鉄道(近鉄)が中心となって設立した美術館である。上村松園、松篁・淳之の作品などの収集・保管・展示を目的としている。

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補註 尤物について 読みは:尤物(ゆうぶつ)。意味は、ウェブ辞書によると・・
① 多くの中ですぐれたもの。逸物。逸品。
② すぐれて美しい女。美女。

補註 尤物の尤という字は、いつも読みにくく感じる。数学用語で最尤法(さいゆうほう)というのがあるが、これを勉強したときにようやく尤(ゆう)という漢字の読みを知った経緯がある。
 それはさておき、本書「長恨歌」では尤物ということばは重要なキーワードであり、読みも含めて、ここでしっかり覚えておきたいと思った。

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補註 下定さんの本を読みながら、副産物として文学書理解のために役立つテクニカル・ターム(学術用語)をいくつか学んだので、以下にノートとして引用する:

文字通りの意味と言外の意味(denotation vs connotation):
表現自体(denotation ディノテーション=指示的意味、文字通りの意味)
その目的あるいは作品中での役割(connotation コノテーション=付加的意味、言外の意味)(下定、同書、p135)

ストーリーとプロット(story vs plot):
主題(テーマ)を正確につかむためには、作品のストーリーとプロットを、いつも頭に置いて読まなければならない。では、ストーリーとは何で、プロットとは何なのか? このことについては、梶野玲王「文学理論ノート」(1973)の説明がわかりやすい。・・「それから(なにが)(and then?)」というならストォリであり、「なぜ(why?)」ときくならプロットであるともいう。・・そして、プロットをただしく把握することから、作品の中心主題をただしくひきだすことが可能となる・・」(二三頁)(下定、同書、p96)

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補註 金へんに肖:ウェブ辞書によると・・
銷という字はけすと読みます
訓読みは「けす」「とける」
音読みは「ショウ」
異字体 焇 销
銷を含む熟語 供銷 報銷 展銷 意気銷沈 推銷 撤銷 暢銷 經銷 銷售 銷毀 銷路

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儒教のノモス化・「論語微子篇」

2016年1月9日 土曜日

白川、孔子伝、中公文庫、1991年(オリジナルは中公叢書1972年)

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孔子の弟子たち(まとめ)・儒教のノモス化・「論語微子篇」

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1.子張篇にみえる五人の高弟たち:子貢・子夏・子游・子張・曾子

子貢:
子貢は衛の人であるから、孔子が衛に亡命中に入門した人であろう。孔子より三十一歳若く、顔回よりは一つ年上である。・・・子貢とは衛の地での問答が多く、これも亡命中のことであろう。・・・(中略)・・・心喪三年ののち、なお三年も仮廬(補註#参照)住まいをしていたのは、先師の記録の整理なども進めていたのであろう。「下論(論語の後十巻)」には、その資料を含んでいるようである。(同書、p265-266)

子夏:
子夏は衛の人。孔子より少(わか)きこと四十四歳ないし三十四歳。のち魏の文侯の師となり、儒家の教学はほとんどその学統から出ているといわれている。

子游:
子游は呉の人。孔子より少きこと四十五歳。魯につかえて武城の宰となり、・・・

子張:
子張は陳の人。孔子より四十八歳年少。禄のことを問うたり、聞達を気にするなど、世俗的な人物であったらしい。

以上、子夏・子游・子張の三子はいずれも、孔子最晩年の弟子である。(白川、同書、p267)

曾子:
鄒魯の学は、曾子によって代表される。孔子より少きこと四十六歳、魯の人である。孔子との関係では、「論語」にわずかに二条を録するにすぎない。その人は「參や魯(遅鈍)なり」(先進)と評されている。ところが他の一条では・・・・(中略)・・・ここでは子貢にまさる俊才とされている。他にみえる十三条は、すべて曾子の弟子が、師としての曾子の語をしるしたもので、「論語」の成立に曾子学派の占める地位の大きさを示している。・・(白川、同書、p267)
・・・
子張篇にみえる五人の高弟たちの間で、主として喪礼に関する意見の相互批判が行われたことが、「礼記」「檀弓篇」にみえる。(白川、同書、p267-268)

「礼記」や「論語」において、師号をもって有子・曾子とよばれるのは、この二人(有若・曾參)に限られている。(白川、同書、p269)

2.孟子:
政治論はかえって「いまだ孔子の徒たるをえざる」孟子によって展開される。(白川、同書、p269)

3.楚狂に近い南方の儒者:
しかし「下論」で最も注意されるのは、やはり「微子篇」であろう。「論語」のうち最も異質とされるこの篇に、かえって孔子晩年の巻懐の思想が、その余韻をとどめているように思う。もっともその伝承者は、・・・楚狂に近い南方の儒者であった。南方には・・・陳良の徒陳相とその弟辛(孟子・滕文公上)のような一派があり、また顔氏の流れを汲んだらしい荘周の一派がある。「論語」に「微子篇」を含むことの意義は、他のどの篇よりも大きいといってよい。それはノモス化した儒家の自己批判として受け容れられたと考えられるからである。・・・「論語」は、このノモス的な時代のなかで形成されてくる。使徒時代の伝承は、このような時代の派閥的利害によって歪められてゆく。あの琳琅(りんろう;補註##参照)たる老師のことばも、雑音にまぎれそうである。このノモス的なものを、根柢から突き破らなければならない。おそらく「微子篇」を加えたのは、そういう楚狂の一派であろう。そしてそのことによって、「論語」はわずかにその頽廃を免れるのである。孔子の精神は、むしろ荘周の徒によって再確認されているように、私は思う。(白川、同書、p269)

4.儒教のノモス化:
・・・儒教のノモス化は、孟子によって促進され、荀子によって成就された。それはもはや儒家ではない。少なくとも孔子の精神を伝えるものではないと思う。儒教の精神は、孔子の死によってすでに終わっている。そして顔回の死によって、その後継を絶たれている。イデアは伝えられるものではない。残された弟子たちは、ノモス化してゆく社会のなかに、むなしく浮沈したにすぎない。「論語」はそのような儒家のありかたをも含めて記録している。またそのゆえにわれわれは、孔子の偉大さを、そのなかから引き出すことができるのである。(白川、同書、p270-271)

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補注#: 仮廬 かりいほ
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
秋《あき》の野《ぬ》のみ草苅《くさか》り葺《ふ》き宿《やど》れりし兎道《うぢ》の宮処《みやこ》の仮廬《かりいほ》し思《おも》ほゆ 〔巻一・七〕 額田王 額田王《ぬかだのおおきみ》の歌

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補註##: 琳琅 りんろう
ウェブ辞書によると・・りん ろう -らう [0] 【琳▼ 瑯▼・琳▼ 琅▼】
一 ( 名 ) 美しい玉。また,美しい詩文などをたとえていう。 「芸術家は無数の―を見、無上の宝璐 (ほうろ) を知る」〈漱石・草枕〉
二 ( トタル ) [文] 形動タリ 玉などが触れあって美しい音を立てるさま。 「 - 璆鏘(きゆうそう)として鳴るぢやないか/吾輩は猫である 漱石」

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