日暮れて道遠: 伍子胥と范蠡

 

2005年8月3日

日暮れて道遠: 伍子胥と范蠡

一度は伍子胥のことを、そして范蠡のことを書いてみたい、と思い、(3ヶ月も前に)臥薪嘗胆から書き起こした。臥薪嘗胆エピソードの活劇、私の心のスクリーンの上で最も生き生きと活躍する人物は、闔閭・夫差や勾践ではなく、伍子胥と范蠡である。もとから私は、夫差も勾践も好きではない。前回の文章でも書いたように、私自身は「臥薪嘗胆」で頑張るのが好きだけど、所詮、烏龍茶をPR茶にレベルダウンする程度のお茶のみ話でしかない。臥薪嘗胆をしたのは呉王や越王である。もしも、私が当時の呉か越か、あるいは楚(#補足参照)に生まれていたとしたら、(歴史に「もしも~たら」は、禁物であるが)、夫差や勾践として生まれてはいない。生まれたときから、硬く冷たいベッドに寝起きし、まずいはずの胆もごちそうに思える庶民の子に生まれ、「いまに見ていろ」という育ち方をしたに違いない。私の意識の中では、夫差に生まれ変わることが、どうしてもできない。王様になれない私にとっては、「臥薪嘗胆」は、全く縁のない努力の範疇に属する。臥薪嘗胆の努力は、どこにも必要ない。忘れがたい恨みがもし有ったとするなら、薪の上に寝て部下から毎日思い出させてもらわなくとも、苦い胆を嘗めなくても、忘れはしない。

この臥薪嘗胆の物語と交差し合いながら、伍子胥の人生が同時進行する。伍子胥こそ、「決して忘れない男」であった。日暮れて道遠、死者を鞭打つ、その姿は二千五百年の歳月を経た今日でも、余りにも壮絶な映像フィルムである。呉王夫差が、「父王闔閭が殺された恨みを忘れるな」と部下たちに毎日ことさら言わせることなど、伍子胥の眼には児戯に等しいと映ったことであろう。陳舜臣さんの「小説十八史略」(*注)では、その辺りを上手に脚色して描いてあり、私も全く同感である。たとえ父親の仇であっても、人を恨み、憎み抜いて、相手かあるいは自分のどちらかが滅び尽くすまで、どろどろの世界で戦い続けることなど、生まれながらのプリンス、夫差には難しいことであった。ちっとも美しくない。潔くもない。きれいさっぱり水に流せないものか。夫差の気持ちはその後の歴史の進行が雄弁に物語っている。夫差は、実に才能豊かな英雄である。会稽での勝利の後、中原へ兵を進め覇者をめざして飛躍することとなる。(##補足参照)

以前、私は、「要は、癌と戦う気持ちを忘れなければそれでよいのだ」と書いた。私の難病への想いは、ほんのちょっぴりかもしれないけれど、伍子胥の楚王への想いに似ている。「初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな そもそもが ひよわな志にすぎなかった**注」—私は、もともとそのような「ひよわな志」しか持たず、少年の頃から中途半端、挫折ばかりを繰り返してきた。そんな私が、(低調な失敗の連続ではあったが)こうして25年も難病治療の研究を続けてこられたのは、その大きさ激しさ重さすべてにおいて伍子胥に遠く遠く及ばないのを承知の上で、敢えて語れば、伍子胥とどこか同質の執拗な想いがあるからだ。死者を鞭打つ伍子胥の姿に、おぞましく鬼気迫る狂気を見、眼をそむけ、後ろを振り向くことなく逃げ出してしまいたい、それが普通だ。が、司馬遷ならきっとそうしたであろうように、もし、私がその場に傍観者として立っていたならば、その場に立ちつくし、その姿を脳裏に焼き付け、歴史の一ページに書き留めようとしたことだろう。眼をそむけたいのに、逃げ出してしまいたいのに、できない。そうだ、伍子胥の生き様そのものが、私たちが忘れてはならない貴重な「歴史」なのだ。日暮れて道遠、私自身も最近ときどきこの言葉を人前で口にするようになった。その時、頭の中をよぎるのは、この伍子胥の姿。「必樹吾墓梓。梓可材也。抉吾目、懸東門。以観越兵之滅呉。」呉の国が滅びるよりもずっと前に、伍子胥の死体は揚子江に投げ捨てられてしまう。その最期までも壮烈。

さて、しかし、私が最も注目する「臥薪嘗胆」の故事の登場人物は、実は、范蠡である。私のふるさと津山の西部、院庄には、作楽神社(明治2年にできたもの)の史跡がある。後醍醐天皇と児島高徳(こじまたかのり)の故事、「天莫空勾践 時非無范蠡」(太平記)のゆかりの地である。私の小学校の遠足でははるばる歩いて行ったし、また、中学校の体育会ではこの漢詩の謡いに合わせてみんなで演武を舞わせられたりしたので、「天莫空勾践 時非無范蠡」の句を、40年近く経った今も忘れないのである。子供心にも、「ハンレイ」という人物、立派な人に違いないと信じていた。この范蠡、別名で何度も登場し、史記列伝のなかでも、私が最も注目すべき人物である。日暮れて道遠、となってしまった今だから負け惜しみで言っているように思われるかもしれないが、私はすでに15年ぐらい前から「粘りにでる作戦」にストラテジーを切り替えた。すなわち、医学研究分野での「早雲」たらんとする方針に切り替えたのである。北条早雲の若い頃のことは不明である。彼が、小田原で一国一城の主となったときすでに60歳。そのまま数年で死んでいれば、北条3代の繁栄は無かった。88歳まで地に足をつけて、しっかり生きたからこそ、諸国の大名から政治面でも生活面でも尊敬される「北条早雲」となったのである。中国の歴史(たとえば史記列伝)の中には、熟年で頑張った人物たちが、さらに大勢登場する。人生を二毛作か三毛作で生きた人々である。(これからの時代は四毛作***注 であろう。) なかでも范蠡は、呉越戦争終了後、越王勾践ときれいさっぱり縁を切って、さっと旅だってゆく。あの潔さがたまらない。素敵な生き様だ。しかもそのまま「去りゆくのみ」ではない。カメレオンのように姿を変えて颯爽と、今度は貨殖列伝のなかに登場する。先に述べたように、たとえ想像上の仮定でさえ、プリンス夫差になれない私が、現実になんとか范蠡を先生としたいと思っているのだから、不思議な矛盾に驚かされる。呉の国を滅ぼしてしまったように、(たったひとつでも良いから)難病をなんとか粘って滅ぼした暁には、あの范蠡のように、さっさと勾践を見限って、また新しい挑戦の旅に船出してみたいのである。  「だから決めた できれば長生きすることに  年とってから凄く美しい絵を描いた フランスのルオー爺さんのように   ね  ****注」   だから私の墓には梓の樹を植える必要はない、と思いたい。しかし、いかに超持久戦に持ち込んでいるのを自覚している私でも、「日暮れて道遠」は、見つめなければならない重い現実である。范蠡のように勝利を得てさらに高く飛翔することが、理想。しかし、第一目標が達成できない私のような研究者は、伍子胥のように最期まで、鬼気迫る面持ちで、薄氷を踏むような実験を重ねてゆくことになるのだろうか。念のため、梓の種を蒔き、小さな苗から育て始めても、尚早ではないかもしれない。梓の樹ってどんな樹なのか? 北海道でも育つのだろうか?

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注* 陳舜臣 小説十八史略 毎日新聞社 1987年。

注** 茨木のり子詩集 自分の感受性くらい <新装版> 花神社 2005年(初版は1977年)。

注*** 石津謙介 人間的な かっこいい貧乏人の人生四毛作論 三五館 1998年。

注**** 茨木のり子 わたしが一番きれいだったとき 茨木のり子詩集 見えない配達夫 童話屋 2001年復刊(初版は1958年)。

#補足: 楚は現在の湖南、湖北両省の地域を指す。

##補足: そして西施も登場し、「顰み(ひそみ;眉をしかめること)にならう」という故事も生まれる。夫差の死、すなわち呉国の滅亡の後、西施がどのような生涯を送ったのか、史書に記載がない。(西施の名は「春秋左伝」や「史記」などの正史には見えない。)陳舜臣さんの「小説十八史略」では、范蠡と共に越を去り、新たな人生を歩んだように描かれている。私も西施には幸せに生き延びてもらいたい。しかし、范蠡の経営する八百屋の店頭に立って、大声を張り上げて野菜を売りさばいている商売上手の女将さんの西施の姿を想像することは、私の想像力をもってしては難しい。400年後の司馬遷の頃には西施の記録はすべて失われていたことだろう。あるいは、西施の行方は、夫差の死後すぐに、だれにもわからないものになったのかもしれない。陳舜臣さんのような優れたストーリーテラー(###補足参照)に任せるべきテーマ。

###補足: 小説と歴史について  陳舜臣の「小説十八史略」は、文字通り、小説である。司馬遼太郎の歴史小説が大衆小説であるのと同じ意味で大衆小説である。私(HH)は、陳舜臣や司馬遼太郎の歴史小説を興味深く読みはするが、しかし、しばしば、「いや、本当は別のことが起こっていた」と思い始めると、余り楽しめなくなる。すなわち、私は、小説よりも「歴史」の方がずっと好きである。こんなことがあったとしたら面白いだろう、という小説よりも、資料を精確に評価して真実を追究してゆく「歴史」を読みながら、考えることが好きである。皆さんも歴史小説が「小説」であることを忘れずに。是非、オリジナルの「史記」その他の歴史書も読んでいってください。

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日暮れて道遠: 伍子胥と范蠡  以上、2005年8月3日付けWEBページより再掲

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猫町を誘致

私の部屋に「猫町」を誘致

 

2005年8月2日

 

日曜日に札幌駅の本屋さんの詩集コーナーで、萩原朔太郎の「猫町」* を見つけた。金井田英津子さんの画の本で、装幀も美しい。これを買ってきて、職場に持ってきて、朔太郎の写真集「のすたるぢや(詩人が撮ったもうひとつの原風景)」** と並べて立てた。朔太郎が使っていたのはフランス製のステレオスコープ。「僕はその器械の光学的な作用をかりて、自然の風物の中に反映されてる、自分の心の郷愁が写したいのだ。」**、という。

 

「猫町」は極めて不思議な世界だ。不意に紛れ込んだ「景色の裏側」の世界。

 

一方、アラーキーと森まゆみさんの「人町」*** も私の部屋に飾ってある。この「人町」のタイトルから「猫町」を連想しない人はいないと思う。が、ひょっとして、「猫町」を知らない人が聞いたら、「人町」は当たり前の真ん真ん中過ぎて、全く意味をなさない。すなわち、「景色の裏側」のはずの「猫町」が存在しなければ、「景色の表側」である「人町」も存在し得ない、という、奇妙な論理の反転が生じている。パロディーの世界では、この反転現象が生じやすい。不思議な世界をもう一回さらに不思議の方向に回転させると、極めて当たり前の世界に戻ってしまうのである。

 

さて、私の職場の本棚。この「人町」と「猫町」を並べて立てるか、離してたてるか、迷っている。たとえば谷中(東京、台東区)の街並みは、天才アラーキーにかかれば、「猫が来るといいな、というとどこからともなくニャーオ。」という町に変わる(「人町」の森さんのあとがきより)のであるが、朔太郎にとって通常は、「終日白っぽい往来」*(猫町、8ページ) に見えるであろう。が、ある時、突然、詩人は「第四次元の別の宇宙(景色の裏側)」(猫町、79ページ)を見るのである。そんな経緯を考察すると、景色の表と裏の関係にある「人町」と「猫町」、とりあえずは、並べて立てておいても、猫と人とで喧嘩することもなかろう、と思う。

 

私の部屋を訪れる人は、是非、この不思議なマッチとミスマッチを見つけて楽しんで欲しい。

 

 

* パロル舎 1997年。

** 萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや 新潮社 フォトミュゼ 1994年。

*** 旬報社 1999年。

 

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シンデレラ第二形態

 

 

2014年4月23日 水曜日

星新一 未来イソップ 読了。

この中のシンデレラ王妃のお話、シンデレラ第二形態の物語である。L氏がしばしば言及するこの第二形態物語、これにて了解。

 

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兵士シュヴェイクの大戦前夜 その1

 

2014年4月6日 日曜日

 

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兵士シュヴェイクの大戦前夜 その1

 

第一次世界大戦がどうして始まったか、すこしでもわかるように歴史書を書いてゆくのはむずかしいことだろう。開戦前夜、たとえば1914年の人々の生き方はどんなものであっただろうか。小さなシリーズとして点描してみたい。

その第一弾は、兵士シュヴェイク。20世紀のサンチョ・パンサとして痛快に活躍する。

オーストリアの皇太子が暗殺された頃、そのオーストリア・ハンガリー帝国の中のプラハの町で暮らしていたのが、この物語の主人公、兵士シュヴェイクだ。その時点では兵士でも従卒でもなく、イヌの売買に関連した一種の職業(イヌドロボウ?)に従事する一般人民であった。市民と言ってもいいのだろうか。選挙権があったのだろうか。知らないことばかり。

作者のハシェクがこの作品を書いたのは大戦後、チェコスロバキアの国ができた頃。ハシェクが亡くなったのが1923年の1月のことなので、1914年の開戦前夜の記憶も古びることなく、この物語の中に生きていることであろう。

 

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古代へのあこがれ

 

古代へのあこがれ: 「ズッコケ中年三人組」を読んでの読書感想文

 

2006年1月24日

 

那須さんのズッコケシリーズ51冊目の本が出たと聞き、早速手に入れて読んでみた。中年と言うことなので、中年向きに細かい字でぎっしりと500ページの本かと覚悟していたが、今までの小学6年生の三人組とほぼ同じ感覚で読み通せる、楽しい本になっていた。あとがきによると、往年のズッコケファンだけでなく、子供たちも楽しめる内容を、という要望があり、中年向きのドギツイ表現は避けた、とのことである。それでも、期待通り、小学生のみならず、中年にとっても、役立つ知識がさまざま盛り込まれている。たとえば、皆さんはクラブとキャバレーの違いをご存じだろうか。私は去年、クラブのママに直接尋ねて、ようやく理解したのである。去年、この「ズッコケ中年」を読んでおれば、そのような野暮な質問はしなくて済んだはずだ。クラブにゆくと短時間に3万円が飛んでしまうことなど、知っている人には常識でも、このズッコケを読んではじめて知ったのは、きっと私だけではあるまい。小学生の頃からこのような知識は十分に蓄えて、いざというときのために、今から倹約に精をだしておいて欲しいものである。ちなみに、私はもう手遅れである。私は倹約を怠って現在まで来てしまったので、三人組と違って、いざというとき、すなわち、クラブで張り込みを余儀なくされた場合でも、とてもお金は拠出できそうにない。
さて、「ズッコケの未来報告」ですでに予告されていた三人の将来、それは小学6年生が卒業式を前にして、同時に見てゆく夢の世界からの「未来報告」であった。今回の「中年三人組」では、それから28年後に飛び移る。現在の日本。三人はちょうど40歳。三人の職業は、傾向はほぼ同じなのだが、現実的には2005年風で、「未来報告」と少しずつ異なっている。
ところで、私としては、一つだけ、那須さんに言いたいことがある。私は、ハカセの職業を、「未来報告」通り、考古学者にしておいて欲しかった! 「中年」では、ハカセは考古学者を目指して修士までは卒業するのだが、大学の教員のポジションも博物館の研究員のポジションも得られず、中学の社会科の先生になってしまう。生徒指導が難しく、授業崩壊寸前で、とても苦労している。ここで頑張るのも、とても良い話にはなるのだが、私としては、ハカセに考古学者になって欲しかった。
毎年、この季節は大学受験シーズンだ。S大学でも立派なお医者さんになることを目指して何百人もの若者が試験を受ける。お医者さんになりたいという受験生に比べて、医学研究者になりたいと明言する受験生は100分の1以下である。いわんや、考古学者になりたいという受験生は、日本中でお医者さん志望の人数の10000分の1以下であろう。それでも、私は、より多くの若者に考古学者を目指してもらいたい、と思うのである。
考古学は、純粋に面白い。でも、わからないことだらけである。が、医学や分子生物学も含めて現代のさまざまな科学技術も駆使しながら、深く研究すれば、これから解明できそうなことが山積みである、ように思う。
一例を挙げれば、歴代の天皇陵に関して、天武・持統陵など、鎌倉時代初期の盗掘の資料が残されているものに限り、正確に比定されるのみであると聞く。数多い前方後円墳などのいわゆる天皇陵が、本当に天皇陵なのか、どの天皇が埋葬されているのか、ほとんどわかっていないのが実情である。敬意なく墓をあばくのは厳に戒めねばならぬことである。が、私たちは、私たちの祖先の歩んできた道を、できうる限り正しく理解し、これからの私たちの歩む道を選んでゆかなくてはならない。たとえば、私は、初代の神武天皇の事跡を正確に知りたいと思う。継体天皇の生涯を詳しく知りたいと思う。柿本人麿が詠んだ歌の本当の意味を知りたいと思う。今ここに述べた疑問はほんの一例に過ぎない。考古学の進展によって、これからわかってゆくことはきわめて面白いし、私たちの生き方に大切な多くのことを教えてくれるだろう。
シュリーマンのように、まずお金持ちになってから、遺跡の発掘に生涯を捧げる、という人生行路を進むことは、簡単には真似できない。やはり、普通に大学に行き、歴史や語学、自然科学を学び、普通に大学院に進み留学経験もして、専門知識技術を身につけて、普通の考古学者になってゆくのがスジだと思う。那須さんには、どうやったら、普通の考古学者になれるのか、そして、一歩ずつでもいいから、すばらしい研究を行うキャリアを進めてゆけるのか、「ズッコケ中年三人組」でも教えて欲しかった。時間は多少前後するが、もし私がその本を38年前に読んでいたら、父母の反対を押し切ってでも、考古学への道を選んだかもしれなかった、と思うのである。
残念なことに、近年、非常に豊かになったと思われた日本の旧石器時代の情報の多くは、「神の手」とも称された一人のアマチュア考古学者の捏造発掘によるものであったことが判った。このような捏造ニュースが伝えられると、多くの親御さんはその子弟を考古学者にはならせたくないと思うだろう。しかし、「捏造」に敗北していては、ダメ。真実の過去を求めて、負けずに、掘り下げてゆきたいではないか。学問というものは深いものなのだ。私たち人類の「古代への情熱」は消えることはない。
那須さんは、また10年後には、50歳の熟年三人組を書いてみたいとおっしゃっている。ズッコケの三人には、今度は、アマチュアとしてでも構わないから「考古学の世界」でも大活躍してもらいたいと思う。そのころには、私は10歳先輩の熟年になっていることだろうが、また元気に読書感想文を書いて応募したい。那須さんも、どうかお体を大切に。「熟年」、楽しみにしています。

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古代へのあこがれ: 「ズッコケ中年三人組」を読んでの読書感想文

2006年1月24日付けのWEBページより再掲

 

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