古代へのあこがれ

 

古代へのあこがれ: 「ズッコケ中年三人組」を読んでの読書感想文

 

2006年1月24日

 

那須さんのズッコケシリーズ51冊目の本が出たと聞き、早速手に入れて読んでみた。中年と言うことなので、中年向きに細かい字でぎっしりと500ページの本かと覚悟していたが、今までの小学6年生の三人組とほぼ同じ感覚で読み通せる、楽しい本になっていた。あとがきによると、往年のズッコケファンだけでなく、子供たちも楽しめる内容を、という要望があり、中年向きのドギツイ表現は避けた、とのことである。それでも、期待通り、小学生のみならず、中年にとっても、役立つ知識がさまざま盛り込まれている。たとえば、皆さんはクラブとキャバレーの違いをご存じだろうか。私は去年、クラブのママに直接尋ねて、ようやく理解したのである。去年、この「ズッコケ中年」を読んでおれば、そのような野暮な質問はしなくて済んだはずだ。クラブにゆくと短時間に3万円が飛んでしまうことなど、知っている人には常識でも、このズッコケを読んではじめて知ったのは、きっと私だけではあるまい。小学生の頃からこのような知識は十分に蓄えて、いざというときのために、今から倹約に精をだしておいて欲しいものである。ちなみに、私はもう手遅れである。私は倹約を怠って現在まで来てしまったので、三人組と違って、いざというとき、すなわち、クラブで張り込みを余儀なくされた場合でも、とてもお金は拠出できそうにない。
さて、「ズッコケの未来報告」ですでに予告されていた三人の将来、それは小学6年生が卒業式を前にして、同時に見てゆく夢の世界からの「未来報告」であった。今回の「中年三人組」では、それから28年後に飛び移る。現在の日本。三人はちょうど40歳。三人の職業は、傾向はほぼ同じなのだが、現実的には2005年風で、「未来報告」と少しずつ異なっている。
ところで、私としては、一つだけ、那須さんに言いたいことがある。私は、ハカセの職業を、「未来報告」通り、考古学者にしておいて欲しかった! 「中年」では、ハカセは考古学者を目指して修士までは卒業するのだが、大学の教員のポジションも博物館の研究員のポジションも得られず、中学の社会科の先生になってしまう。生徒指導が難しく、授業崩壊寸前で、とても苦労している。ここで頑張るのも、とても良い話にはなるのだが、私としては、ハカセに考古学者になって欲しかった。
毎年、この季節は大学受験シーズンだ。S大学でも立派なお医者さんになることを目指して何百人もの若者が試験を受ける。お医者さんになりたいという受験生に比べて、医学研究者になりたいと明言する受験生は100分の1以下である。いわんや、考古学者になりたいという受験生は、日本中でお医者さん志望の人数の10000分の1以下であろう。それでも、私は、より多くの若者に考古学者を目指してもらいたい、と思うのである。
考古学は、純粋に面白い。でも、わからないことだらけである。が、医学や分子生物学も含めて現代のさまざまな科学技術も駆使しながら、深く研究すれば、これから解明できそうなことが山積みである、ように思う。
一例を挙げれば、歴代の天皇陵に関して、天武・持統陵など、鎌倉時代初期の盗掘の資料が残されているものに限り、正確に比定されるのみであると聞く。数多い前方後円墳などのいわゆる天皇陵が、本当に天皇陵なのか、どの天皇が埋葬されているのか、ほとんどわかっていないのが実情である。敬意なく墓をあばくのは厳に戒めねばならぬことである。が、私たちは、私たちの祖先の歩んできた道を、できうる限り正しく理解し、これからの私たちの歩む道を選んでゆかなくてはならない。たとえば、私は、初代の神武天皇の事跡を正確に知りたいと思う。継体天皇の生涯を詳しく知りたいと思う。柿本人麿が詠んだ歌の本当の意味を知りたいと思う。今ここに述べた疑問はほんの一例に過ぎない。考古学の進展によって、これからわかってゆくことはきわめて面白いし、私たちの生き方に大切な多くのことを教えてくれるだろう。
シュリーマンのように、まずお金持ちになってから、遺跡の発掘に生涯を捧げる、という人生行路を進むことは、簡単には真似できない。やはり、普通に大学に行き、歴史や語学、自然科学を学び、普通に大学院に進み留学経験もして、専門知識技術を身につけて、普通の考古学者になってゆくのがスジだと思う。那須さんには、どうやったら、普通の考古学者になれるのか、そして、一歩ずつでもいいから、すばらしい研究を行うキャリアを進めてゆけるのか、「ズッコケ中年三人組」でも教えて欲しかった。時間は多少前後するが、もし私がその本を38年前に読んでいたら、父母の反対を押し切ってでも、考古学への道を選んだかもしれなかった、と思うのである。
残念なことに、近年、非常に豊かになったと思われた日本の旧石器時代の情報の多くは、「神の手」とも称された一人のアマチュア考古学者の捏造発掘によるものであったことが判った。このような捏造ニュースが伝えられると、多くの親御さんはその子弟を考古学者にはならせたくないと思うだろう。しかし、「捏造」に敗北していては、ダメ。真実の過去を求めて、負けずに、掘り下げてゆきたいではないか。学問というものは深いものなのだ。私たち人類の「古代への情熱」は消えることはない。
那須さんは、また10年後には、50歳の熟年三人組を書いてみたいとおっしゃっている。ズッコケの三人には、今度は、アマチュアとしてでも構わないから「考古学の世界」でも大活躍してもらいたいと思う。そのころには、私は10歳先輩の熟年になっていることだろうが、また元気に読書感想文を書いて応募したい。那須さんも、どうかお体を大切に。「熟年」、楽しみにしています。

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古代へのあこがれ: 「ズッコケ中年三人組」を読んでの読書感想文

2006年1月24日付けのWEBページより再掲

 

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嵐の中を歩むガドルフ

2012年9月13日。

朝、F先生にアポのメール。夕方17:30におうかがいするよう、返事。

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藤永さんのブログより。<以下引用>「長い間、信用してきたガーディアンにガッカリしてしまったと私がいうのを聞いて、そんなことは今さら新しいニュースでも何でもない、とジャーナリズム専門の先生たちはおっしゃるに違いない。しかし、そこに問題があります。現に作動しているジャーナリズムの世界で、私たち一般大衆に与えられる報道にあらゆるバイアスが意図的にかけられていて、一貫した無視もその手段であることを私たち大衆に知らせる行為に踏み切れば、職業的に疎外され、いい所からお声がかからなくなることを怖れて、私たちにそれを教えてはくれないわけです。」

John Pilger のWEBサイトから。<以下引用> “It was one of the strictest language courses I know,” he says. “Devised by a celebrated, literate editor, Brian Penton, the aim was economy of language and accuracy. It certainly taught me to admire writing that was spare, precise and free of cliches, that didn’t retreat into the passive voice and used adjectives only when absolutely necessary. I have long since slipped that leash, but those early disciplines helped shape my journalism and writing and my understanding of moving and still pictures”.

私もそのような文章を綴ってゆこう。文章を書く時に心にとめて置こう。 passive voice はvoiceにアクセントがあり、受身形、受動態のこと。反対は active voice。受動態を使えば主体が曖昧な文章が書けてしまうからだろう。私も心したい。

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水谷千秋著「謎の大王 継体天皇」を読了。日本の古代史の本を読むとき、困るのは、古事記・日本書紀以外に典拠に乏しく、古墳も措定はされていても発掘調査などがされていない状況で、手詰まり感がつよい。異説のいくつかをこちらは採用しこちらは棄却してという操作から一つの物語を再生産しているような感じで、基準が全くはっきりしない。中国の歴史書などをしっかり読み込めばよいのであろうが、昔の漢文を読みこなすのは、中国語を話す人たちでも難しいだろう。要するに学問の進め方が明確でない。記紀の著者たちがどういう方針でどういう歴史編纂を行ったかが明確でなく、読みこなすことが難しいことが、大きな障害となっている。たとえば九州王朝はどのような形で起こり衰退したかなど、不明のところに手を付けられないでいる。どこから手を付けたらよいのであろうか。

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夕方5時半。F教授のところにうかがい、退職に関してお願い申し上げる。

部屋に戻ってからwisさんの朗読で賢治の「旅人の話」を聴く。旅も終わりに近づいてきました。しかし、新しい旅の始まり。「新しい紙を買ってきて、この旅人の話をまた書きたいと思います。」

同じくwisさんの朗読で「グスコーブドリの伝記」を聴く。恐らく私の旅の原点はこのブドリの世界にある。マキアヴェリや会田雄次さんの見る世界も本物である。けれども、私がこれからも旅してゆくのは嵐の中をひとり歩むガドルフであるし、恋しているのは嵐の中で立ち続ける白い百合の花なのだ。その原点を見失わなければ、また正しい道を歩み続けることができるだろう。

それにしても、ブドリたちが大変なサンムトリ火山の噴火を前に「急いで汽車に乗った」、というところでは思わず笑ってしまう。サンムトリに到着するのは次の朝。昔の汽車は遅かった。最後に本格的な路線汽車に乗ったのは11歳の夏、腕を骨折して旅の途中で引き返した折だったが、本当に遅かった。腕がずきずきと痛んだ。優しかった母を思い出す。ブドリの時代なら、きっと汽車が一番速い乗り物だっただろうが、すでに内燃機関を備えて高速のメルセデスはドイツには存在していただろう。イーハトーボにはベンツは輸入されていないし、買えたとしてもそれを走らすしっかりしたアウトバーンはなかっただろう。それでも、ブドリたちは、本物。悲しい顔をして心で笑ったり、笑いながら心の中で悲しい思いで泣いていたりはしないのだ。

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以上、2012年9月13日付けの日記より。

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2014年2月20日付け、WEB記事のためのHHコメント:

この日に大学退職を願い出たのです。それから半年後の2013年3月末で大学での研究者生活に終止符を打つこととなりました。私にとっては記念すべき踏み切りをしたこの日、賢治の「旅人の話」を再び聴いておりました。私のひとつの旅も終わりに近づき、しかし、新しい旅の始まりも待っていました。「新しい紙を買ってきて、この旅人の話をまた書きたいと思います。」  私も、今、新しい土地で新しい旅を始めているのですね。

「けれども、私がこれからも旅してゆくのは嵐の中をひとり歩むガドルフであるし、恋しているのは嵐の中で立ち続ける白い百合の花なのだ。その原点を見失わなければ、また正しい道を歩み続けることができるだろう。」

以上、2014年2月20日付け、WEB記事のためのHHコメント。

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