グラフの形が違う!

 

グラフの形が違う!: ユーア、ロングの思い出。

 

2006年1月17日e

「グラフの形を比べてみよう!」とは、当部のメンバーなら、耳にたこができるほど聞かされている。しかし、ここで語るのは、「ユーア、ロングの思い出」である。すべては語れない。痛恨の想いに沈み込む。とげのように深く突き刺さって、古い傷口が今でも疼くのである。

1991年のこと、私は、Hv大学のG教授のところに相談に行った。Hv大学は、私の小学生の頃からのあこがれの大学でもあり、また、G教授はノーベル賞ももらっている天才科学者の誉れ高い人だ。パーティでお宅にうかがったこともあったし、常々、立派な仕事に心服していたのである。G教授のところに一回目に相談にうかがったときに、私の仕事で面白いデータのでていること、G教授のテーマの方向でその仕事を発展させていきたいことを話した。結果、日を改めてもう一度、私の実際のデータを見せて、具体的なディスカッションをすることとなった。

私のデータは、今までの平凡なデータとは違ったラインの仕事で、なかなか不思議な実験データであった。ただ、その面白さが、当時のボスのM先生が決して面白がらないジャンルの面白さで、むしろ、G教授にぴったりのプロジェクトにつながりそうだった。私は、是非、G教授のアドバイスをもらい、ボストンの地で、科学者としての起死回生の仕事に打ち込んでみたいと思ったのだ。

さて、G教授に見せに持っていくべきいくつかのデータのうち、一つのフィギャーでは、2回繰り返して基本的には同じ興味深い結果が出ていた。ただ、グラフがでこぼこしていて、実験が下手だと思われそうなデータだった。が、まあ、仕方なかろう。G教授のところに2回目に訪問、そのデータを見せて説明したところ、G教授が即座に「ユーア、ロング」と大声で言った。私は、何が長いのか分からず、びっくりしてしまった。「ロング、ロング」と繰り返す。私は、ようやく、「You are wrong. (お前は間違っているぞ)」と言われているのに気づいた。G教授は、グラフの形が different (違っている)、というのだ。私は、実験のデータのばらつきでグラフがでこぼこしていることかと思い、実験手技が下手であることによるでこぼこではあっても、結論が間違っていることにはならないことを、冷や汗をかきながら一生懸命説明した。何しろ、私の命運がかかっている。

しかし、それでも、ユーア、ロングと言われた。そして、こんなこともわからないのかと蔑んだような身振り言い方で、彼が説明するには、私の仮説が正しければ、私が実験で得るはずのグラフの形は、コントロール実験のグラフの形と同じ、すなわち、平行移動したら重なる形になるはずである。ところが、私の実験結果は、変にへちゃげた、コントロールとは全く違った形のグラフになっている、すなわち、私の仮説とは全く違った異質の「何か」が起こっている、と解釈しなくてはならない。私もようやく、そのグラフに関して自分の解釈の誤りに気づいた。確かに、G先生のおっしゃるとおり、私の仮説は成り立たないかもしれない。言われたことは良くわかった。

それは良くわかったが、こうしてG先生のところに相談に来ている理由は、局所的にそのデータの解釈だけを教えてもらいたかったからではない。科学者としての姿勢を尊敬しているG先生からさまざま大局的なアドバイスをもらいたいから、こうして相談に来ているのである、そう言ってお願いしたが、冷たくあしらわれただけであった。日本的な浪花節では通用しない世界がそこにある。たとえ一つのフィギャーにせよ、データの解釈を間違えたこと自体、言語道断、徹底的に糾弾さるべき愚かさ、ということか。あとには、とげとげしい冷たさが残ったのみであった。

問題のフィギャーに関して、あとから落ち着いて追加実験を行って、やはり私の実験結果のアセス(評価)は間違っており、バクテリアからタンパクを精製してきたときの夾雑物による影響を見ていただけらしいことを、自ら突き止めた。結果として、G先生の読みは正しかった。しかし、よそのポスドクのデータを開示させ、局所的な解釈に関して、あれほど厳しく糾弾された。私はひとりで、ひどく落ち込んだ。その辺の人間関係的事情はさておき、私はその時はじめて、自分の実験データの読みがいかに浅かったかを思い知らされた。「ユーア、ロング」とあからさまに指摘されたのは、あの時がはじめてであった。(今のところ、あれが最後であった、と言えるが、これはまだ当分、確定しない。) 私も、すでに30報以上の英文原著を発表してきた34歳の科学者として、ひとつの実績は出してきていたはずなのに、すべてを打ち砕かれた面接だった。今に至るまで、この「グラフの形が違う!」は、私にとって最も貴重な研究のキーワードであり続けている。部員の前で「グラフの形」と言うたびに、依然として、私のどこかで小さな「とげ」のようなものが動いているのが見つかる。「ユーア、ロング」は、私の痛みであり、悔しさ・屈辱である。

2年間のボストン留学時代は、科学者としての私にとって、惨めな模索の時期であった。

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以上、グラフの形が違う!: ユーア、ロングの思い出  2006年1月17日e 付けのWEBページより再掲

 

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激甚捏造災害の被害者救済

 

モダーンタイムズの医学研究における激甚捏造災害の被害者救済措置

 

2006年1月17日 d

 

前回、前々回に引き続いて、医学研究の捏造に関する考察を進める。

マンションの強度偽装の案件に関しては、被害者救済の公的措置が講じられている。一方で、医学研究の捏造被害においてはどうか? 本来、医学研究の成果の最終受益者は患者である。臨床研究・臨床治験などにおいては、制度上、被験者に対する補償・賠償の条項が記載されており、被害者救済もそれに従って行われる。よって、捏造災害に関しても制度上の問題は考えにくい。
さて、一方、ウソデータに惑わされて、それに基づいて研究を行い、失敗を重ねて沈んでいった不運な「研究者」は、救済の対象になるであろうか。民事訴訟に持ち込んでも、被害の因果関係を明確に証明しづらいので、捏造者から被害者が賠償を受けるのは難しいと言わざるを得ないのではないか。もちろん、文部大臣に尻を持ち込むわけにもゆくまい。「研究者」は、プロフェッショナルであり、ウソデータに惑わされた、といって文部大臣に泣きついても、専門家がだまされるとは間抜けなことだわい、ガッハッハ、となる。よって、私たちのような研究ラボであれば、教授が補償措置を執る必要があるが、「教授」も一向に権力がない。お金は一層無いだろう。せいぜい、落第しそうな博士号をなんとか恵んでもらえるようサポートするとか、一回だけ近所の焼鳥屋に連れて行ってくれるとか、その程度で「責任を果たした」と思う教授が多いのではないか。ひどい教授になると、部下への救済責任を忘れて、自分こそが被害者であると泣き言を並べて、部下を一層困らせるのではないか。つまり、こと被害救済に関する限り、教授は完全に当てにならない。
よって、部下も教授も、それぞれ医学研究者たるもの、各自「専門家」であることを銘記し、最大限の情報を入手し、自己責任で研究を行って欲しいという、通り一遍、当たり前のアドバイスに落ち着かざるを得ない。恐らく、小泉首相もそのようにおっしゃることであろう。しかし、本当だろうか。現代の医学研究はますます細分化し、情報は膨大となり、一方で、追試はきわめて困難である。「我こそはこの道の専門家、だませると思わん者は、さあ、だましてみよ」、と大音声で呼ばわれる「専門家」などどこにも居ないのではないか。安直なキットをさまざま使ってどんどん実験が成功して、徒長して育ってきた現代医学研究者は、限りなくシロウトに近い。彼らを、ちょいとだますことなど、巧妙な偽装者にとっては、いとも簡単。
そこで、新しいビジネスモデルを提案しよう。観光地の旅館やレストランなどを対象としたお天気保険などと同等の、さまざまな人々の暮らしを補償する「Modern Times」時代を代表する新型の保険、その名も「捏造災害救済特約付きのワイドな補償」の付いた「研究者のための人生補償保険」である。保険会社は、グラントの審査システムや雑誌のレビューシステムと提携して、被保険者から申請された研究計画を十分に読み込み、研究者の研究課題のリスクに応じて、保険金に対応する掛け金の額を決定する。その際、準拠している基盤データが怪しいものに関しては、当然、掛け金が倍増する。よって、優秀な保険会社のアドバイザーが、緻密に研究者の実験計画の作成を手助けし、一円でも掛け金が少なくなるように努める。若手研究者支援制度も利用でき、40歳以上の年寄り研究者よりも、割安なアドバイザー料金を支払うだけでよい。このアドバイザー・プロセスを通して、被保険研究者自身の実験データの信憑性に関する正確な情報も無償で収集され、保険会社の所有する膨大かつ貴重なデータベースとなる。おかげで、人災とも言える激甚捏造災害は現在の100分の1まで減少する。しかし、「捏造災害救済特約付き」なので、非常に信頼が置けるはずだった基盤論文が、万が一、捏造データだったことが判明した場合、被保険者は大きな補償金を受け取れるのである。たとえば、大きなグラント付きで有名大学の教授に抜擢して、もう一度敗者復活戦のチャンスがもらえる、などという「ビッグな補償」が付いてくるかもしれない。保険会社は、メジャーな雑誌のエディトリアルボード(編集局)と密接に提携し、ウソデータを載せない優れた雑誌には大きな資金援助褒賞を行い、自社の利益を担保する。国家も年度ごとに雑誌をランキング評価し、優れた雑誌社に対しては法人税を軽減し、編集長には勲章を授与する。N誌やS誌も、話題性よりもむしろ保険会社からの収入が大きい方向に編集方針の舵取りを変換させてしまっている、はずだ。ただし、当保険システムでは、お金持ちの子弟の研究者や有名大学の研究者一門が有利になる。このような資本主義的システムを野放しにすると「神の見えざる手」により、お金持ちはますますお金持ちになり、有名大学の研究者にはますます研究資金と人材が集積してしまう。この弊害を是正するため、ヨーロッパ型の福祉重視再分配型の掛け金・保証金曲線に乗り換えるべきか、アメリカ型の自由尊重アメリカンドリーム達成型カーブを温存すべきか、はたまた、中国の前例を参考に個人の努力変数を加えた複雑3次元曲面グラフを採用すべきか、日本では各省庁での行政指導のストラテジーを決定すべく、多くの諮問委員会に依頼して、最近30年間にわたり鋭意検討中、、、などという近未来像である。(この提案は、私の実用新案ではあるが、すでに1940年ごろにオーウェルによって提案されたプロトタイプの焼き直しである。)
それにしても、もしこんな保険があったとしても、私は決して加入しなかっただろうなあ、と思う。至れり尽くせりではあるが、きわめて鬱陶しい。私自身、うまくいく補償付きの実験研究など、「面白くも何ともない」と考える。危険を覚悟で、自分たちですべての責任をひっかぶる、そんなつもりで船出する、説明抜きで、私たちのスタイルはそれしかない。私とて、恐ろしい嵐に一度も出会わないで太平洋を渡れると思っているわけではない。嵐を乗り越えるために、船出するのだ。縄文時代、水をためる壺と、釣り針と釣り糸、それだけを丸木船に積んで、九州東岸ないし四国南岸から、小さな帆を張って黒潮に船出し、アメリカ大陸を目指す。古田さんや青木さんが教えてくださったように、3ヶ月あれば、(今の)サンフランシスコあたりに到達するはずだ。エクアドルやペルーにもまわって、じっくり(縄文時代の)世界を見てから、今度はコンティキ号のような新しい筏を組んで、南半球周りで、またこの日本列島の地に帰ってこよう、おみやげはペンギンの卵一個かもしれないけど、それでもいい。そんな冒険を夢見ている、私たちは新石器時代の研究者なのだ。
だから、スマイル!

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モダーンタイムズの医学研究における激甚捏造災害の被害者救済措置

2006年1月17日 d 付けのWEBページより再掲
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捏造、偽装、換骨奪胎。(第二部)

 

 

捏造、偽装、換骨奪胎。(第二部)

2006年1月17日 C

第二部は、「世の中の(世間の)捏造データ」について。

(前回からの続き) そんな風にして、ぼろぼろになって、あこがれのボストン、W研究所から、日本に帰ってきた。発表論文は、その間、ゼロ。その数字がすべてを語る。これが影響して、日本に帰っても3年ほどは論文を出せず、計5年にもわたって、苦しい時期であった。ただ、そのような時期を通じて、自分自身のサイエンスのスタイルを十分に形成することができたため、みずからデータを「捏造」する、という危機はあり得なかったし、明確に、今後も起こりえない。よって、第二部として、以下に考察したいのは、世の中の(世間の)捏造データと、私とのかかわりである。これが、また、厳しい現実だったのである。

その1 医学研究のデータ捏造がどうして悪いか、という問題。
これに関しては、マンションの設計における耐震強度の偽装にたとえるのが、ぴったりかもしれない。医学研究の蓄積も、マンションなどの建築と同じく、家族や友人とともに享受し、そして子孫に受け継ぐべき一つの社会資本と考えて良い。正確な実験結果に基づかないごまかしの医学研究データに準拠して診断や治療の研究を進めるのは、耐震強度が偽装されたマンションに住み続けるようなもので、危ない。うわべは安全そうでも、本当に地震がくれば、崩れる。紙に書いてあるデータや設計図が崩れるだけなら、だれにも被害は及ばない。が、もし大勢の人が住んでいたとしたら、あるいは、大勢の人がその診断や治療を受けたとしたなら、多くの人が苦しみ、あるいは、死ぬ。そして、それは決して他人事ではない。自分や自分の家族、親しい友、かもしれない。

その2 偽装のからくり。
私自身の研究経験から言えば、私たちのフィールドで重要な論文発表に記載された実験を、自分たちの手で追加試験(追試)してみて、同じ結果がどうしてもでてこないこと(再現不能)を、今までしばしば経験してきた。ずっとめずらしくはあるが、自分のところの旧ポスドクのデータに関して、引き継いだ実験者が替わって実験してみると再現できないこともあった。
もちろん、方法が異なっている場合も考えられるので、元々の実験を行った研究者に連絡を取り、実験方法の詳細をお教えいただき、コントロールとなる材料その他提供いただき、綿密に実験を繰り返す。この段階で「うそ」が判明する場合もある。たとえば、送ってきてくれたコントロールサンプルの塩基配列が全く別物であることが、私たちの塩基配列決定で判明したこともある。それを相手側に連絡して、本物を送ってもらえるように再三頼んでも、そのまま音信不通になってしまったりすると、先に進めない私たちは窮地に陥る。「研究者の仁義」に悖(もと)るやり方ではあるが、一度ならず経験した。方法を精確に教えてくださいと謙虚にお願いしても、教科書に載っているような一般的な返事を返してくれるだけだったこともある。誠意無く、のらくらと逃げられる。忙しすぎるか、逆に、家族と長いバカンスに出かけていました、ということで忘れられて、返事をもらえない。
それぞれのケースについて、常に曖昧な部分が残されており、絶対的に捏造だと決めつけることはできない。しかし、私たちの側でも追試しながら失敗を重ねていくうちに、実験の本質を深く理解できるようになるため、少なくとも「偽装のからくり」が飲み込めてくることが多い。
たとえば、学会場などで出くわした機会につかまえて、よくよく話を聞けば、何回か実験を行ったうちの、あるいは何百もの試作品をトライしたうちの、たまたま一度の「うまくいった」データを載せただけ、つまり、もともと本人でさえ再現できないデータを載せてきた、という事実が見え隠れしたことも多い。これを「一回こっきり」タイプの偽装と名付けたい。一回しか実験を行わない「知らぬが仏、怠惰型」タイプと、何回でも実験を行っておのれの欲するデータを抽出する「信念努力型」タイプなど、「一回こっきり」タイプの中でも各種の細目分類が可能であろう。
別の事例では、私たちが10以上の細胞株で追試してみて、N誌とC誌の連続論文として載っている2,3の細胞株でだけ「論文で結論している真実」が真実である(論文のデータ自体は再現可能である)ことに気づいたこともある。私たちが10の細胞で行った実験結果を詳細に記載して発表しようとしても、載せてくれる雑誌はインパクトファクターが1,2の雑誌であり、換言すれば、だれも読んではくれない。(インパクトファクターの1,2に関しては、私たち自身がその論文をサイテーションして次の論文を書き、何とか「インパクト毀損罪」の償いをするしかないのである。)この場合、著者たちは、私たちよりもずっと多くの細胞株を用いて実験したはずである。そして、構想力豊かに、データを「ものにしよう」と考えたに違いない。2,3の細胞株のデータが抽出され、ジグソーパズルのミッシングリンクを埋める興味深いストーリーが組み立てられ、N誌やS誌の論文にまとめ上げて新地平を切り開いたわけであり、私たちよりも努力も想像力も何倍も逞しく、その意味では尊敬に値するとも言える。もちろん、私たちのような「治療の研究者」が患者の臨床に応用しようと追試したとたんに、化けの皮がはがれてきてしまう。このタイプの捏造も多い。これを、「換骨奪胎」タイプの偽装と称することとしたい。前述の500もの試作品(プラスミドによる塩基配列変異体など)のうち、やっとひとつがうまくいった、という論文なども、書きようによっては「換骨奪胎」タイプの偽装に容易に化けるであろう。
最も安直で、よって頻繁に遭遇するのは、データの創作や書き換えである。これを「イン・シリコ創作型」タイプと命名しよう。亜型として「フォトショップ技巧型」その他、さまざまなグラフやお絵かきソフトの名前の細分類がなされよう。写真をひっくり返すなどの安直なものから、コンピュータIT関連の業界に転職できるほどの高度の技巧を駆使したものまで。
「一回こっきりタイプ」、「換骨奪胎タイプ」、「イン・シリコ創作タイプ」、すべてに共通するのは、実験ノートが偽装解明の決め手になることである。一回しか「成功した」データが出てこなかったり、そもそも生データが存在しなかったりするだから、頑張った人には気の毒だけど、実験ノートを見られればどうやったってすぐにばれる。よって、このタイプの偽造に手を染めた者は、ノートを他人に見られるのを嫌う。ラボに残しておくべきノートを留学先に持ち去るし、司直の捜索の手が伸びてくれば「ノート紛失」、ということになるのである。
「イン・シリコ創作型」とほぼ同系列であるにもかかわらず、極めて判定困難なものに、「仕組み込み実験型」がある。あらかじめシナリオがあれば、出るはずのデータを「出す」ことは、安直にできる。たとえば、20の細胞株から同じデータが出ると想定されるときに、1,2の細胞株だけで20回分の実験をまとめてやって20分の1の労力で安直にデータを得る。すべてぴたりとそろったデータを出してくれば、「ありえない」故に偽装を見抜ける。が、もし乱数表を使うなど適当にデータ操作が加われば、偽装を見分けられない。「仕組み込み実験」は、動物実験など複雑なものでも、いとも簡単に構築可能である。たとえば、治療効果が期待できる方のラットやマウスに、腫瘍や毒物を少なく投与することにより、「良く効くはずだけれどもなぜか効かない治療薬」がぴたりと効き始める。この「仕組み込み実験」タイプの捏造では、頭の良い実験者が実験の最初から実験ノートも巧妙に偽装した場合、FBIの特捜部でも偽装を見抜けまい。「仕組み込み実験」のからくりを見抜くには、手を替えて追試を行うしかない。よって、「仕組み込み実験」を行う実験者は、他人に追試をされることを嫌う性癖が強い。彼は、他人に方法を教えたがらないし、教えても不親切で、相手に失敗させ、再現を許さない。難しいコツがあることをほのめかし、カリスマになりすます場合もある。彼だけが実験に成功する理由を、ブラジルのエースストライカーのフリーキックのように、名人芸として神秘化するのである。この手の輩には気をつけなくてはならない。ブラジルのフォワードだけが入れられるシュートのような方法など、サイエンスの世界には存在しないのである。

その3 「トカゲしっぽ切りタイプ」のボスは許せない。
上記の分類法(*注、参照)からはずれるが、「トカゲしっぽ切りタイプ」のラボから生まれる偽装も多い。ボスの教唆により、手下がデータを捏造するのである。ボスは、構想力豊かで、実験結果と解釈のストーリーができあがっており、部員は、ストーリーを構成するデータを出してくれさえすればよい。だから、こんな簡単なことはないだろう、さあ、どんどんやろう、というわけだ。しかし、事実は小説よりも奇なり。実験をしてみるとちっともうまくいかないことの方がむしろ多いのだ。ボスが生データを見ながら部員といっしょに親身になって打開に当たれば、捏造は生じない。が、部下の努力が足りないなどの単なる叱咤激励だけだと、捏造の危険が助長されるのである。このタイプの偽装の場合、ボスは実験方法の詳細に立ち入らないスタンスをとっていることが多い。ボスはしっぽをつかまえられたら、すべてを実際に手を下した部下の責任として、部下を切って捨て、自分はいつでも逃げる用意ができている。このタイプのボスには実力者も多く、手下は危険も多いが、リターンがより多い場合もしばしばである。つまり、頭もしっぽもどっちも悪いのであるが、強いて言うなら、私としては、ボスの方がずっと悪いと思う。ボスの理論では、悪いのは手下であり、自分は捏造を一度たりとも指示した覚えはないという。ボスにとっては、リスクは極小、リターンは手下のそれ以上に大きい。これは、フェアではない。「トカゲしっぽ切り」は、断じて許せない、と私は思う。

(*注)研究の形式による分類法では、「トカゲしっぽ切りタイプ」は、「劇場型」の研究スタイルから派生するさまざまの結果のうちの一亜型である。「劇場型」では、監督の総帥のもとに、脚本、助監督、主演、助演、大道具、小道具、照明、音楽、音響、広報、その他、さまざまの役割の人々が助け合い複雑に絡み合ってストーリー(架空の物語)が展開する。「劇場型」の亜型として、「ドキュメンタリー映画製作型」がある。ドキュメンタリー作製の監督は、すでにストーリーを持って現場に到着するのであり、助監督以下、現実を細切れに切り取ってつぎはぎしてゆくのである。「真実」を伝えるドキュメンタリーとなるか、「真実」と遠い現実となるか、監督をはじめチームの力量が問われる。

その4 捏造は、追試者にとって大きなダメージ。
私の今までの20数年の研究を振り返れば、「偽装(ただし、presumed guilty ではあるが)」に惑わされ、それを基盤として実験計画を進めたこと、そして結果として「再現不能」であったこと、決して稀ではなかった。それぞれの失敗が、実に、研究者としての私にとってダメージが大きかった。非常に大きな時間と労力を無駄にしてしまったと悔やまれる。打ち込んで3年5年と続けてきた仕事が最終的に「再現不能」の基盤からスタートしていたと気づいた時点では、もうこの地点まで来てしまっては立ち上がれない、研究者としては引退も考えなければならない、と思い詰めたこともある(すぐに忘れてしまうのではあるが)。
日々を他人のデータの追試に費やし、結果、失敗と失意のうちに一生を過ごすのでは、研究者として成仏できそうにない。深い諦観と悟りの境地に到達しつつある私たちのグループ。故に、現在の私たちは、よそのラボのデータには全く準拠しない、そんな仕事を目指すことにしている。(論文読みの勉強をからっきし必要としないので、極めて健全な日々が過ごせるという余得もある。オススメである。)

その5 データの捏造をいかに防ぐか、その対策を考えてみたい。
現在、私の仕事では、「捏造」データの製造される危険はきわめて少ない。先月のラボでの年末打ち上げのパーティの時にも話した。 1)当部の体制は、できるだけ実験の生データを十分にディスカッションする、特に、データの細かいところまでうるさくチェックすることを旨としている。実験ノートの記載指針も明文化し、厳しく言っている。「この目で見、この指で触れたもの以外は、私は信じない」というマタイの言葉の信奉者である。ボルティモア先生流に言うなら、“Show me the data!”「データを見るまで、信じるもんか」、という言葉となる。 2)当部では部員には実験の失敗をむしろ奨励している。よって、失敗を一人で隠しておく必然性がない。喜んでふれて回って欲しい。二度と失敗しなければよいのだから。「しっぱいいっぱい、でも、しっぱいいっかい」は私が大学院講義の時に使った標語。 3)きっとこんなストーリーになるはず、というプランをあらかじめ立てて、実験者に押しつけたりはしない。いつも「どっちになるかわからないから、まあ、やってみよう。ひょっとするとすごくおもしろいかも、、、」という曖昧模糊たる実験しか計画しないように心がけている。うまくいくとわかっている実験なんか計画しても面白くも何ともない。 4)すばらしいデータが出てきたときは、とりあえず、私はすっかり信じることにしている。そして、素直に大いに喜ぶのである。しかし、必ず同じ実験を複数回繰り返す。できれば手を替えても同じ結果が出ることを示す。重要なのは、独立した別の方法で、必ず「ウラ」を取ること。たとえば、免疫沈降産物の抗体によるウェスタンブロット解析と、免疫沈降産物の質量分析で同じ結果が得られても、ウラを取ったことにはならない。一方、cDNAの発現ベクターのトランスフェクションでポジティブな結果が得られれば、ウラが取れたことになる。(それでも、場合によっては、保留事項が残ることもある。)「間違いデータ」ないし「捏造」データの場合は、方法を変えれば、同じ結果が出ることは無い。「捏造」データの場合は、クレバーな人が多いので、再現良く同じ結果を出してくるかもしれないが、遅かれ早かれ、私のこのような愚直な実験の繰り返しやウラ取りの提案を否定し、「すばらしいデータ」をなぜかほったらかして、私のラボを去ってゆくだろう。クレバーな人には、ばかばかしくて付き合いきれないのである。彼らが欲しているのは、手っ取り早い成果でしかない。このことに気づくまでには、どうしてあんなに私が嫌われなければならないのか、わからずに悩んだ。

その6 「モノ」が多くを語る。
しかし、嘘つきはどこにでもいるし、さまざまな誘惑もあり得るので、たとえ上記のような気風が存在するラボであったとしても、捏造データがでてこないという保証は無い。捏造阻止の秘訣は、単純だ。実に、私たちのラボでは、いつもきわめてコンクリートな「モノ」作りの実験だけを行うようにつとめている。現在は、モノクローナル抗体作りを中心に頑張っているが、このような「モノ」作りの場合、捏造で無から有を作り出すことは、きっと、きわめて難しい。モノが多くを語ってくれる。すぐに、つべこべ言わずにモノを見せろ、と、なる。モノがあって、単純で、(当部である程度修行を積んだ人なら)だれでもすぐに追試できるような明快なことしか行わない。ことメソッドに関しては、職人芸などはサイエンスの世界に無縁のはずだ。私たちのラボのような診断や治療の研究では、そのようなコンクリートで、鉄筋がいっぱい詰まっているような「モノ」を伴う実験研究でないと、所詮、臨床研究に耐えられない。そんな感覚から、私たちは20年以上も飽きもせずにモノ作りをトライし続けているのである。

その7 「捏造」の誘惑に直面した研究者へのアドバイス:
さて、次に、「捏造」の誘惑に抗しきれない状況にある迷える医学研究者へのアドバイスをしたい。といっても、私のようにN誌・S誌にも論文を通すことのできない愚禿研究者からのアドバイスでは、「上を目指す」研究者にとっては何の効能もないかもしれない。むしろ、私のごとく成果に恵まれない研究者を他山の石として、捏造に励む若手研究者もいるかもしれない。残念ながら、一理あるかもしれない。私の場合、みんなで参加するジグソーパズルには、ことさら背を向けてきた。よって、有名雑誌から「待望のミッシングリンクついに見つかる!」と喜ばれることも無く、一方で、ジグソーパズルの駒を捜す代わりにズルして一つ創作する動機もチャンスも端から存在しなかったのである。15年来ラボに飾ってきた以下の言葉をときどき見つめながら、いろいろな失敗から起きあがろうとしてきた:“I want to know God’s thoughts. The rest are details.” 研究者にとって本当に大切なものと、常に真正面から向き合って生きてゆこう。

その8 間違いは、誰にでも、いつでもある。
それから、もう一つ。捏造とは明確に区別すべき「間違い」について。少年時代に読んだ「のらくろ」の漫画に「まちがいと****はどこにでもある」ということばがあった。われわれ研究者、のらくろよりは若干よけいに注意深く、のらくろと同じぐらい正直に頑張ってきていても、やっぱりそれでもまちがいや失敗は多いのである。研究において自らの重大な間違いに気づいたときは、それを世に明らかとし、すぐに改める、その姿勢を決して見失わないようにしよう。間違うことは良い。しかし、間違いに気づいた時、間違いをウソで塗り込めようとしたとたんに、それは「間違い」ではなく、「捏造、偽装、換骨奪胎」になってしまう。どんな偉い先生でも間違いがない訳がない。間違いが恥ずかしいと思うことは、間違っている。もし、そんなサイエンスの分野があるとしたら、すでに、全く魅力のない、自浄不能の業界である。私は、もし、研究成果において自らの間違いに気づいたときには、躊躇なく、間違っていたと皆の前で認めることができる。「裸の王様」だったことをすぐさま認めること、恥ずかしくも何ともない。もちろん、良心の問題でも倫理の問題でもない。ただ単に、裸は、裸。ウソデータなど、全く価値がなく、ウソを重ねてまで守らなければならない何物も、その価値を認められないからである。

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以上、2006年1月17日 C 付けのWEBページより再掲

 

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捏造、偽装、換骨奪胎。(第一部)

 

 

捏造、偽装、換骨奪胎。(第一部)

2006年1月17日 B

韓国の医学研究者のヒトESクローン細胞の研究発表論文のなかで、本物だったのは、(クローンイヌといわれていた)イヌだけだった、というニュース(NHK-BS1でのアメリカの放送局)が衝撃的であった。同じ細胞の写真を裏返しに使用するなど、比較的初歩的なテクニックも使われていたとのこと。
上記の韓国の事例に限らず、昨年来、国内外において、医学研究者のデータの捏造(ねつぞう)、マンションの建築設計における耐震強度の偽装、など、「捏造や偽装」が大きな社会問題となっている。今回は、私たちのラボと直接関係する医学研究のデータ捏造に関して、考えてみたい。

第一部 私の今まで歩いてきた道:「捏造」とのすれ違い立体交差。

医学研究において「捏造」がどこまではびこっているかについて。正確には私は知らない。しかし、かなり広くはびこっている事象であるのは、容易に推測される。今まで歩いてきた道を、振り返れば、私の身の回りにも「捏造」の逸話に事欠かない。私のエピソードを語ることによって、若い研究者の方々にとって、若干の参考になるのではなかろうか。
私が研究者として基礎トレーニングを受けたのは、癌研の鶴尾先生のラボであり、古き良き時代であった。細胞培養などのテクニックを飯田さんから教わったが、飯田(斉藤)晴美さんの手技は堅実であり、彼女のデータはすべて何度やっても同じ結果が得られるものであった。習った「方法」は、世界的にエスタブリッシュされたスタンダードな方法ばかりであった。
次に、鶴尾先生のご指示の下、自分一人でアイソトープなどを用いた薬剤の取り込み実験などを始めたが、今度は、激しくデータがばらついて、何度やっても傾向さえつかめなかった。半年ほど続けてみて、この「方法」では、測定不能とあきらめることにした。エスタブリッシュされた方法は、(現在に至っても)世界的に存在せず、そもそも不可能であったのだろう。
その次に、自分から方針を選んで始めたのが、薬剤耐性をコントロールできる機能を持った抗体の作製である。「もの」作りをすることで、よりコンクリートで倒れない研究にしてゆきたいと思った。
鶴尾先生の研究室は、寛容な、良い意味での放任で、実にのんびりしたものであった。この6年の間に、私は、スローペースで、今からは想像も難しいほどの、いっぱいいっぱい、手作りの失敗トライアルをさせてもらえたのである。現在の部員たちが繰り広げる失敗の多くを「深く」理解できるのは、若い頃の私が、同じ失敗をすでに経験して大きく悩んで来た因果である。
癌研時代、2ヶ月間ほど国内留学で名古屋(藤田学園)の黒沢先生のところで抗体の遺伝子工学の手ほどきを受けた。この時、手取り足取りで厳しく教えてくださったのが三浦恵二さんである。三浦さんのような方から、きっちりとテクニックを習えたこと、私が自慢な財産のひとつ。今に至るまで、技術的な基盤として、私の実験の芯を形成している。
以上、長々と書き綴ってきた私の最初の6年間に、「捏造」の影の忍び寄る環境はどこにもなかった。抗体を捏造できるはずもなく、コードする塩基配列も1文字違わず正解となるのは当たり前。ただ、黒沢先生が、アメリカの研究者たちに良く見られるデータの誤りに関して、あんなことやったって「面白くも何ともない」、と話してくださったのを、今でも覚えている。私には黒沢先生が何を意味しているのかつかめず、華やかな競争のサイエンスの世界は、地味な治療の研究をやっている私のような者には縁遠いものに思えた。
ところが、留学先は、アメリカ、ボストンのW研究所。所長はDB先生(ノーベル賞を若くして受賞されている)である。私はMラボだが、DBラボとも、W先生のラボとも同じ3階のフロアで仕事できるのが楽しみであった。私のような留学生は、ノーベル賞学者たちを拝顔すること自体、非常に楽しみにして海を渡ってきたのであり、DB先生が随所に出現する、そのたびに感動を覚えたものである。ところが、数ヶ月して分かったことは、あのようなユダヤ系のお髭で埋もれた顔からは、私には個人を判別できないという事実。私と同じMラボに所属する大学院生(当時は若輩者)のDSのことを、長いことDB大先生と混同していたようである。逸話はさておき、当時はC誌に載ったImanishi-Kari論文の捏造実験データ疑惑がアメリカ議会で問題になっており、DB先生は共著者の一人として、渦中に身を投じて上院で弁論を行うなど、大活躍の時代であった。議会での演説のリプリントもすぐに読めるように、私たちのフロアの文具置き場に山積みされていた。
私が渡米してくる少し前には、アメリカ連邦警察FBIの調査もMITに入ったとのこと。同じフロアのW先生ラボのSちゃんによると、FBIの科学調査というのは、侮りがたい。本物のサイエンティフックな技法を駆使した捜査であり、安直な捏造データが露見しないで見過ごされるような甘いものではなかったとのこと。超遠心機の操作日誌の記載、ノートに貼り付けられたODメータの打ち出し紙の新旧、実験ノートに書き込まれたインクの質と日付との異同など、同時期に実験がなされた同僚たちの実験ノートの日付や記載などとも対照しながら、正確に裏付け捜査が行われていったようだ。
しかし、より問題なのは、Imanishi-Kari論文が、氷山の一角に過ぎないかもしれないこと。世界の医学研究の頂点に君臨してきた感のあるW研究所が、一方では、インチキデータのメッカでもあり得るかもしれない、という疑惑の風聞である。
研究所で毎週行われる5,6グループ合同のフロアミーティングでは、私のようにぼろぼろのデータを苦しそうに発表する者も確かに多くいる一方で、次から次へと華々しいデータを発表するエリートたちの競演が見られる。Gn君のようにスタンフォードのノーベル賞学者Hzのところで博士号を取得してから、MITのノーベル賞学者DBのところでポスドクという具合に、ノーベル賞街道まっしぐらの経歴の若者も多い。確かに彼等は勘所良く、よって、仕事の進め方もうまい。アメリカ人としての人柄も非の打ち所無く、よって、人脈も豪華である。アメリカという国が、がっちりした学歴サークル社会だという一面を持っていること、このときはじめて教わった。このような華やかなサークルに所属するポスドクたちから、素晴らしいデータが発信され、割とすぐに、独立したポジションへと栄転してゆく。仕事の質の評価に応じて、良いポジションが用意される。原因と結果が分かりやすい。先日フロアミーティングで凄いデータを出したポスドクが、次の月にはC誌(当時はMITの構内に出版オフィスがあり、まあ、たとえて言えば、MITにとってのC誌は、インパクトファクターこそ違え、札幌医科大学にとっての札幌医学雑誌のようなものである)のファーストオーサーになっており、年明け早々には**大の独立ポジションへ栄転が決まっている、というスムーズさである。チャンスが与えられ、チャンスを生かした人には、さらにもっと大きなチャンスが与えられる。アメリカンな人生ゲームの華々しさが、そこに展開する。
しかし、同じフロア(3階)の友人が密かに私に話すことには、表面の華々しさの裏側には、多くの虚偽が隠されているという。フロアミーティングで素敵な仕事を発表し、Hi大学に栄転してゆく4階の某ポスドクの話がでた際、彼が言うには、「同じグループの連中はみんな、ヤツのノートを見ればすべてがわかるぞって言っている」、とのこと。フロアミーティングでの彼の発表は、ノートのデータに裏付けられていない。ウソのデータで飾った論文・得たポジションだ、というわけである。「ヤツの免疫染色データには、コントロールの染色実験が記載されていない。」という。有名大学の出身者でもない某は、長年の失敗の末、ついに一発逆転劇を仕組んだ、というわけだ。私としては、陰でそんな言い方で批判をするのは、フェアな態度でないと感じた。が、友人にとっては、特にあげつらうほどのことはない、そんなデータ操作などはここでは日常茶飯事に横行している、といった感覚である。私自身は、某ポスドクの友人でもなければ、ノートを見せてもらったわけでもないので、確認はできない。しかし、当時、疑惑のデータないし疑惑有りとする多くの事例・風説が、さまざま、非常に頻繁に飛び交っていたことは事実だ。
W研究所ほどのところともなれば、普通のデータでは、ボスは見向きもしてくれない。彼を、つまり世の中を、あっと驚かすほどのすごいデータでないと、相手にされない。そのようなデータを生み出さない限り、この「悲惨な境遇」から抜け出すこともできず、そのまま飼い殺しにされ、腐っていってしまう。そのようにして、追いつめられ、思い詰めた末に、ポスドクや大学院生は、一発逆転の危険な賭に打って出るのだろう。「データの捏造」も局面打開の一つの手段ではある。彼等にとって、良いデータを一つ出せば、独立ポジションへの栄転とそれに伴う輝かしい未来が開けるのであるから、非常に大きな誘惑に満ちている環境であったろう。

私はデータの捏造には手を染めなかった。しかし、私の今まで歩いてきた道のなかで、ボストンでの2年間は「捏造」とのニアミス、すれ違い立体交差の危ない世界を通っていたように思う。

2年間のボストン留学時代は、科学者としての私にとって、非常に惨めな時期であった。そのような抜け道のない No way out の時代に、私が「捏造」の誘惑に負けて、堕ちてゆくことから免れたのは、一つには、私が元来不器用で捏造のチャンスも何もなかったせいでもある。が、もう一つには、私のキャリアが、サイエンティストとしてスタートしたのではないこともあろう。24歳の時、一人の患者を診る一人の臨床医として、何とか「今は救えない一人の患者」を、私の研究によって救うことができたらそれで本望、という出発点から研究が始まった。よって、現状の惨めさをどんなに簡単に「改善」できるかに見えても、「捏造データ」を自分がひねり出すこと自体、現状の惨めさをさらにさらに惨めにしてゆく行いでしかない、ということが分かっていたからである。「捏造データ」では患者は治せない、自明である。
当時の私を支え慰めてくれたのは、このホームページでも紹介したように、三面の阿修羅像の愁いであり、賢治の詩であり、シューベルトのピアノ曲であり、ベートーベンの弦楽四重奏であり、モーツァルトやワグナーの歌劇であり、ニューイングランドの湖水の上を移りゆく季節の表情であったり、私と同じような不遇を嘆いて泣きそうになって相談してくる親友のMSだったり、いつも陽気でやさしいCGだったり、自分では決して実験しないかわりにノーベル賞級のアイデアをどんどん惜しげもなく教えてくれるDSだったり、、、
と、さまざま私を慰めてくれた思い出たちを書き出すと、きりがなくなってしまう。機関銃の弾のように次から次へと出てきて、あと500項目ぐらいは思い出せそうで、突然、漫才の落ちになってしまいそう。つまり、研究の上でどんなに不遇な状況があろうと、それとは関わりなく、人生、極めて豊かに過ごせるというものだ。

次回に続く。

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以上、2006年1月17日 B 付けWEBページより再掲

 

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