中国文明の歴史

2018年7月4日 水曜日 雨のち曇り
岡田英弘 中国文明の歴史 講談社現代新書1761 2004年
古い漢族の絶滅
 一八四年の黄巾の乱とともに、秦の始皇帝の統一で始まった前期が終わって、後期が始まる。後期の特徴は、古い漢族の事実上の絶滅と、北アジアからの新しい血液の流入による、新しい漢族の成長である。(岡田、同書、p90-91)・・・(中略)・・・ こうして真空状態になった中国の周辺地帯には、人口の不足をおぎなうために、北方から鮮卑、匈奴、羯(かつ)、氐(てい)、羌(きょう)などの、いわゆる「五胡」が移住させられてきて定着した。・・・(中略)・・・三〇四年に匈奴の劉淵が漢王と称して独立してから、いわゆる「五胡十六国の乱」となった。
 「五胡十六国の乱」は、内地に移住させられていた遊牧民が、われもわれもと反乱を起こして、それぞれ王国を建てたものであるが、ようやく四三九年になって、鮮卑の拓跋氏族が平城(へいじょう)(山西省大同市)に建てた北魏が華北を統一して、「南北朝」時代が始まる。(岡田、同書、p95)
・・結局、中国の分裂は、たった二十年間の晋の統一をはさんで、黄巾の乱から四百年以上も回復できなかったわけだ。
 その原因は、人口の過少によって、農業生産の復興がままならず、食糧の余剰がなくて、統一のための戦争の余力に乏しかったことであろう。この人口過少期が中国史の第一期の後期である。(岡田、同書、p96)
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阻害された情緒語彙の発達
・・しかも文字の世界で特有の論理にもとづいて開発された漢字の組み合わせ、すなわち熟字のきわめて高度な発達は、それを借用する側の話しことばの、ただでさえ未発達な語彙をさらに圧迫して、情緒の方面の語彙の発達を阻害することとなり、その結果、さらに熟字のストレートな借用を促進するという悪循環を招くこととなった。もともと抽象的な表現にむいていない漢字の性質がこれに拍車をかけて、中国人の感情の自由な表現はほとんど不可能になったのである。(岡田、同書、p107)
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