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どの位人の思はくを構はずにゐる事が出来るか験して見たのだ

2019年7月12日 金曜日 曇りときどき小雨


鴎外訳 レオ・トルストイ パアテル・セルギウス (1890,1891,1898作 1913鴎外訳)底本:「鴎外選集 第十四巻」岩波書店 1979年 初出 文藝倶楽部 一九ノ一二 1913(大正2)年

セルギウスは考へた。「己の夢はかうしたわけだつた。己はあのパシエンカのやうに暮せば好かつたに、さうしなかつたのだ。己は陽に神の為めに生活すると見せて、陰に人間の為めに生活した。パシエンカはつひに人間の為めに生活する積りでゐて、実は神の為めに生活してゐた。己は人間に種々の利益(りやく)を授けて遣つたやうだが、あんな事をするよりは、有難く思はせようなどと思はずに、水でも一杯人に飲ませた方が増しだつた。・・己のやうに現世の名誉を求めてゐる人間の為めには、神も何もない。己はこれから新に神を尋ねなくてはならない。」(キンドル版 鴎外全集 99076/119678(83%))

 セルギウスの為には、此出会が特別に嬉しかつた。どの位人の思はくを構はずにゐる事が出来るか験して見たのだと思つたからである。セルギウスは人のくれた二十コペエケンを受け取つて仲間の盲人に遣つた。人の思はくを顧みぬやうになればなる程、神の存在を感ずる事が出来て来るのである。・・シベリアに着いて、セルギウスは或る富裕な百姓の地所に住む事になつた。主人の菜園を作つて、傍(かたはら)主人の子供に読書(よみかき)を教へたり、その家の病人を介抱したりしてゐた。(同上、99221/119678(83%))

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