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古代エジプト・アクエンアテンの宗教改革

古代エジプトの謎(つづき)

2015年6月10日 水曜日 雨のち曇り

アクエンアテンの宗教改革:アテン神を唯一絶対とする一神教

吉村作治 古代エジプトの謎 ツタンカーメン・クレオパトラ篇 中経の文庫 2010年

アクエンアテンという名は、彼がアテン神信仰に改宗してから自分で改名してつけた名前であり、それ以前の名はアメンヘテブ四世だった。・・・(中略)・・・アクエンアテンは、アメンヘテブ三世と正妃ティイとのあいだに生まれた息子である。(吉村、同書、p129)

ユダヤ教成立に深い係わり?
アクエンアテンのアテン信仰は、アテン神を唯一絶対とする一神教であった。一神教の元祖のようにいわれているユダヤ教よりも成立は古く、世界最古の一神教といって間違いないだろう。
しかし、アテン神は最初から唯一絶対神としてエジプトの大地に突如として躍り出てきたわけではない。元来はエジプトの八百万の神々の一つにすぎなかった。八百万の神々の中からアクエンアテンがアテン神を選び出し、唯一絶対神としての地位を与えたのである。(吉村、同書、p135)

(出エジプト記・第34章14節で)ヤハウェは「あなたは他の神を拝んではならない」と述べている。
この言葉の意味するところは何なのか。ヤハウェ自身が、自分の他にも神々が存在するのを認めているからに他ならない。それを前提として、ヤハウェはモーゼに対し、「あなたたちの神として私を選びなさい。私以外の神を信じてはいけない」と命令しているのである。
ユダヤ人の選民思想といわれるものについて、私たちはよく誤解して「ユダヤ人とはヤハウェによって選ばれた民である」というふうに解釈しがちだが、そうではなく、逆に「ユダヤ人がヤハウェを選んだ」ということが、この部分を読むとわかる。つまりユダヤ人とは、ヤハウェによって選ばれた民というよりも、むしろヤハウェを選んだ民というべきなのだ。
・・・(中略)・・・
それでは、人々が神を選ぶという、このような原初期のユダヤ教における選民思想は、いったいどこから生まれてきたものなのだろうか。その源となったのが、このアクエンアテンの宗教改革ではなかったかと思われる。
世界史では、モーゼの出エジプトが実際に行われたのは、おそらく紀元前1230年ごろだろうというのが、ほぼ定説とされている。第十九王朝の時代であり、アクエンアテンの宗教改革から約百三十年後という計算になる。
こういった点から考えて、私はユダヤ教の成立の背景を、次のように推測している。
すなわち、最終的にアクエンアテンの宗教改革は失敗し、次のツタンカーメンの時代にアテン信仰は捨て去られ、さらに第十八王朝最後の王であるホルエムヘブによって、猛烈な勢いでアテン信者狩りが行われることとなるのだが、その際に、生き残ったアテン信者たちは必死で逃げていき、ナイル川河口のデルタ地帯にまで落ちのびていった。そして、そこでユダヤ人の祖先であるヘブルの民と合流し、文化的な交流が行われる。こうしてモーゼの出エジプトに至るまでの百年ほどのあいだに、アテン信仰が形を変え、熟成し、やがてヤハウェという絶対神の名のもとに教義が統合整理され、新たな一神教である原初期のユダヤ教の萌芽が形成されていくこととなった。
その過程の事情について、確定的なことは何もいえないが、ともあれアクエンアテンの宗教改革が、何らかの形でユダヤ教の成立に対して影響を与えたことは、間違いないといっていいだろう。(吉村、同書、p135-137)

それにしても、世界中が多神教であったこの時代に、神は一つという思想をはっきりと打ち出したアクエンアテンは、まぎれもなく天才的な閃きをもった人物であったに違いない。(同書、p146)

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脚注: 新王国時代(前1565ー前1070年ごろ)第18王朝から20王朝まで。アクエンアテンは第18王朝のファラオ。

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2022年1月4日追記の以下のページもご参照ください。

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人類の歴史を大きく変えた「一神教モノシイズム」もまた、移民によって生まれ、移民によって育まれ、移民によって世界に拡がっていった。 2022年1月4日 火曜日 雪 神野正史 「移民」で読み解く世界史 イースト・プレス 2019年 エジプト新王国イ...

神野正史 「移民」で読み解く世界史 イースト・プレス 2019年

・・歴史学的にはアメンホテプ4世の方が圧倒的に重要です。

・・国が栄えれば栄えるほどすべては「神=アモンの御加護のおかげ」とされ、神官(=ヘムネチェル)の発言権が王(ファラオ)すら凌駕しはじめたことです。・・彼ら神官が我がもの顔に振る舞えるのは、神アモンを騙っているからです。ならば・・王ファラオが神官を兼位すればよい(原注#)。  しかし、「アモン神の声を聴くことができるのは神官だけ」という伝統があったため「アモン神」ではダメです。  そこでアメンホテプ4世は、当時マイナーだった「アトン神」という神を引っぱり出し、・・アトン神の声を聴くことができるのは王(ファラオ)だけである!  しかし、これだけでは「アモン神官」と「アトン神官(王)」の中傷合戦が始まるだけですから、もう一押し必要です。  ーー神(アトン)はおっしゃった!  我の他に神はなし!  我こそが唯一の神なり!  こうすれば、アモン神は“偽神”となり、それを掲げる神官は「ペテン師」ということで排斥することができます。  じつは、このように純粋に政治的事情で人工的に作られた「アトン教」こそ、人類史上初の一神教です。  これ以前に人類が作りあげた無数の宗教の中に一神教はひとつたりとも存在しませんでしたし、しかも、この特異な宗教「アトン教」がエジプトに存在していたのは、後にも先にもこの王ファラオの御世(みよ)10年のみ!  イクンアトン王(原注@@)が亡くなるや、猛反発していたアモン神官たちがただちにこの王ファラオの名を王名表から消し、「アメンホテプ4世というファラオ自体が最初から存在しなかった」ことにされ、ファラオとアトン教の存在はエジプトの歴史から徹底的に抹殺されてしまいます。  こうして“突然変異”のようにして生まれた「一神教=モノシイズム」は人類史から跡形もなく消え、ふたたび“ポリシイズムしか存在しない世界”へと戻っていく・・はずでした。(神野、同書、p37-38)

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