culture & history

聖とは神の声を聞くことのできるものである

2015年12月2日 水曜日 曇り

白川静 中国古代の文化 講談社学術文庫 1979年

聖と俗

古代社会においては、すべてが聖なるものであった。聖ならざるものは、聖化されるべきものとして存在する。俗なるものは、俗なるものとして、その存在を主張しうるのではない。現にあるものは、みな聖なるものの現れとしてのみ在る。玉を見ることは霊を見ることであり、現れるのは霊の顕現である。このように在るもの、現れるものがすべて神性にみたされているという汎神論的な世界観が、古代人の意識を特徴づけている。(白川、同書、p113)

聖とは、神の声を聞くことのできるものである。・・・(中略)・・・本来の字形は、大きな耳をもつ人の形にかかれている。サイはのちにそえられたもので、それは祈りを意味する。祈りによって神の声を聞きうるもの、それが聖者であった。風のおとずれによっても、神霊を覚知するものである。したがって聖は、神ではない。神の声を聞く、神にもっとも近い人である。(白川、同書、p114)

谷:
字形から考えると、それは祈りの器であるサイと、その祈りにたいして、神気が立ちあらわれるようすを示したものである。(白川、同書、p115)

聖と俗:
 古代の儀礼は、このような聖と俗との対立を原理として、その聖化の方法として構成されている。・・・(中略)・・・すべては聖なるものへの接近と同一化という意味をもつものであった。(白川、同書、p115)

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注: ウィキペディアより: <以下引用>
サイという発音は「才」「載」などの元字に甲骨文におけるサイという部分が含まれていることによる。祝詞が登載されていることから、訓読は「ノリト」である。 甲骨文字・金文における口: 白川静によれば、甲骨文字、金文において、甲骨文におけるサイ(サイ)は「口(くち)」の意味で使用されている明確な例はないという。また、「曰」は甲骨文におけるサイ(サイ)の中に祝詞を収めている形という。<以上、引用終わり>

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サイという字形:

のちほど画像ファイルのメディアを追加する予定です。

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