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激甚捏造災害の被害者救済

 

モダーンタイムズの医学研究における激甚捏造災害の被害者救済措置

 

2006年1月17日 d

 

前回、前々回に引き続いて、医学研究の捏造に関する考察を進める。

マンションの強度偽装の案件に関しては、被害者救済の公的措置が講じられている。一方で、医学研究の捏造被害においてはどうか? 本来、医学研究の成果の最終受益者は患者である。臨床研究・臨床治験などにおいては、制度上、被験者に対する補償・賠償の条項が記載されており、被害者救済もそれに従って行われる。よって、捏造災害に関しても制度上の問題は考えにくい。
さて、一方、ウソデータに惑わされて、それに基づいて研究を行い、失敗を重ねて沈んでいった不運な「研究者」は、救済の対象になるであろうか。民事訴訟に持ち込んでも、被害の因果関係を明確に証明しづらいので、捏造者から被害者が賠償を受けるのは難しいと言わざるを得ないのではないか。もちろん、文部大臣に尻を持ち込むわけにもゆくまい。「研究者」は、プロフェッショナルであり、ウソデータに惑わされた、といって文部大臣に泣きついても、専門家がだまされるとは間抜けなことだわい、ガッハッハ、となる。よって、私たちのような研究ラボであれば、教授が補償措置を執る必要があるが、「教授」も一向に権力がない。お金は一層無いだろう。せいぜい、落第しそうな博士号をなんとか恵んでもらえるようサポートするとか、一回だけ近所の焼鳥屋に連れて行ってくれるとか、その程度で「責任を果たした」と思う教授が多いのではないか。ひどい教授になると、部下への救済責任を忘れて、自分こそが被害者であると泣き言を並べて、部下を一層困らせるのではないか。つまり、こと被害救済に関する限り、教授は完全に当てにならない。
よって、部下も教授も、それぞれ医学研究者たるもの、各自「専門家」であることを銘記し、最大限の情報を入手し、自己責任で研究を行って欲しいという、通り一遍、当たり前のアドバイスに落ち着かざるを得ない。恐らく、小泉首相もそのようにおっしゃることであろう。しかし、本当だろうか。現代の医学研究はますます細分化し、情報は膨大となり、一方で、追試はきわめて困難である。「我こそはこの道の専門家、だませると思わん者は、さあ、だましてみよ」、と大音声で呼ばわれる「専門家」などどこにも居ないのではないか。安直なキットをさまざま使ってどんどん実験が成功して、徒長して育ってきた現代医学研究者は、限りなくシロウトに近い。彼らを、ちょいとだますことなど、巧妙な偽装者にとっては、いとも簡単。
そこで、新しいビジネスモデルを提案しよう。観光地の旅館やレストランなどを対象としたお天気保険などと同等の、さまざまな人々の暮らしを補償する「Modern Times」時代を代表する新型の保険、その名も「捏造災害救済特約付きのワイドな補償」の付いた「研究者のための人生補償保険」である。保険会社は、グラントの審査システムや雑誌のレビューシステムと提携して、被保険者から申請された研究計画を十分に読み込み、研究者の研究課題のリスクに応じて、保険金に対応する掛け金の額を決定する。その際、準拠している基盤データが怪しいものに関しては、当然、掛け金が倍増する。よって、優秀な保険会社のアドバイザーが、緻密に研究者の実験計画の作成を手助けし、一円でも掛け金が少なくなるように努める。若手研究者支援制度も利用でき、40歳以上の年寄り研究者よりも、割安なアドバイザー料金を支払うだけでよい。このアドバイザー・プロセスを通して、被保険研究者自身の実験データの信憑性に関する正確な情報も無償で収集され、保険会社の所有する膨大かつ貴重なデータベースとなる。おかげで、人災とも言える激甚捏造災害は現在の100分の1まで減少する。しかし、「捏造災害救済特約付き」なので、非常に信頼が置けるはずだった基盤論文が、万が一、捏造データだったことが判明した場合、被保険者は大きな補償金を受け取れるのである。たとえば、大きなグラント付きで有名大学の教授に抜擢して、もう一度敗者復活戦のチャンスがもらえる、などという「ビッグな補償」が付いてくるかもしれない。保険会社は、メジャーな雑誌のエディトリアルボード(編集局)と密接に提携し、ウソデータを載せない優れた雑誌には大きな資金援助褒賞を行い、自社の利益を担保する。国家も年度ごとに雑誌をランキング評価し、優れた雑誌社に対しては法人税を軽減し、編集長には勲章を授与する。N誌やS誌も、話題性よりもむしろ保険会社からの収入が大きい方向に編集方針の舵取りを変換させてしまっている、はずだ。ただし、当保険システムでは、お金持ちの子弟の研究者や有名大学の研究者一門が有利になる。このような資本主義的システムを野放しにすると「神の見えざる手」により、お金持ちはますますお金持ちになり、有名大学の研究者にはますます研究資金と人材が集積してしまう。この弊害を是正するため、ヨーロッパ型の福祉重視再分配型の掛け金・保証金曲線に乗り換えるべきか、アメリカ型の自由尊重アメリカンドリーム達成型カーブを温存すべきか、はたまた、中国の前例を参考に個人の努力変数を加えた複雑3次元曲面グラフを採用すべきか、日本では各省庁での行政指導のストラテジーを決定すべく、多くの諮問委員会に依頼して、最近30年間にわたり鋭意検討中、、、などという近未来像である。(この提案は、私の実用新案ではあるが、すでに1940年ごろにオーウェルによって提案されたプロトタイプの焼き直しである。)
それにしても、もしこんな保険があったとしても、私は決して加入しなかっただろうなあ、と思う。至れり尽くせりではあるが、きわめて鬱陶しい。私自身、うまくいく補償付きの実験研究など、「面白くも何ともない」と考える。危険を覚悟で、自分たちですべての責任をひっかぶる、そんなつもりで船出する、説明抜きで、私たちのスタイルはそれしかない。私とて、恐ろしい嵐に一度も出会わないで太平洋を渡れると思っているわけではない。嵐を乗り越えるために、船出するのだ。縄文時代、水をためる壺と、釣り針と釣り糸、それだけを丸木船に積んで、九州東岸ないし四国南岸から、小さな帆を張って黒潮に船出し、アメリカ大陸を目指す。古田さんや青木さんが教えてくださったように、3ヶ月あれば、(今の)サンフランシスコあたりに到達するはずだ。エクアドルやペルーにもまわって、じっくり(縄文時代の)世界を見てから、今度はコンティキ号のような新しい筏を組んで、南半球周りで、またこの日本列島の地に帰ってこよう、おみやげはペンギンの卵一個かもしれないけど、それでもいい。そんな冒険を夢見ている、私たちは新石器時代の研究者なのだ。
だから、スマイル!

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モダーンタイムズの医学研究における激甚捏造災害の被害者救済措置

2006年1月17日 d 付けのWEBページより再掲
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