民俗学

伊勢に隠された神々

2016年12月29日 木曜日 雪

吉野裕子全集 第2巻 日本古代呪術/隠された神々 人文書院 2007年(初刊はそれぞれ1974年/1975年)

吉野裕子全集 第4巻 陰陽五行思想からみた日本の祭り 人文書院 2007年(初刊は1978年)

**

・・こうしてそれまで東西の横の関係にあった柛界と人間界は、中国風に天と地、上と下の縦の関係におきかえられることになる。この立体的な上下の関係を地上に持ち込んで平面化すれば、神聖視される方位は、日本古代信仰における東方重視ではなく、北、または西北の方位となる。北は「太一(たいいつ)」の居所であり、西北は「易」における「乾」で、天を象徴するとされているからである。そこでもしそれまでに、この地にすでにあったとすれば、東向きであったに相違ない伊勢神宮内宮の社殿は、神が北天を負うことになったため、必然的に南面することになったと私は推測する。(吉野、隠された神々、第三章 伊勢に隠された神々、同書、p265)

**

内宮・外宮と呼ばれる謎
伊勢神宮における第二の変化とは、つまり天照大神と「太一」との習合の結果、必然的におこった新事態、まったく新しく北斗という外国の神の勧請ということであり、同時に内宮と外宮の成立である。(同、p265)

内宮の宮域外における皇大神宮の祭りその他には、天照大神の象徴として「太一」または「大一」の文字がしきりに用いられるのに対し、宮の内側における神事には、「太一」の語はいっさい表れない。これはいったいどういうことだろうか。(同、p269)

**

伊勢神宮の祭屋構造
・・こうしてみてくると、内宮外宮ともに天地合一相の造型であることを、両宮の古絵図はまざまざと示している、と思われるのである。(吉野、陰陽五行思想からみた日本の祭り、p223)

銅鐸と前方後円墳にみる天地合一相の造型
淮南子・天文訓に、
「天は円に地は方に、道は中央にあり」
と見え、天は円く地は角(かく)い、とされている。この円い天と角い、つまり方形の地との素朴な天地合一相の造型が、銅鐸と前方後円墳ではなかったか。・・
 前方後円墳は水濠を以て囲まれ、銅鐸には圧倒的に水紋が多い。・・現実の水以上にそれは呪術の水と思われる。・・銅鐸の上部には天を象徴する渦巻紋が繰り返され、下部には方形に区切られた中に、水紋や、介・鱗・羽・人類などの生類が刻されている。銅鐸はその一箇の中に天地・陰陽を包摂するが、この二元から万象が生じ、また滅して輪廻が繰り返される。銅鐸下部の方形の部分、つまり天地の中の地の部分が往々にして、故意に破壊されているのは、祭祀の対象とされたものを地上から消滅させ天に還す呪術だったのではなかろうか。(吉野、陰陽五行思想からみた日本の祭り、p227)

**

補註 介とは? ウェブ辞書によると・・
6. 鎧  7. 甲羅 ・・甲殻類や亀などの甲羅のことを指しているようだ。

**

*****

********************************************

RELATED POST