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鳥獣害、動物たちとどう向きあうか

2017年8月29日 雨のち曇り

祖田修 鳥獣害 動物たちと、どう向きあうか 岩波新書1618 2016年

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・・この「かわいがって育てーー処理しーー食べる」というプロセスは、人間の行為・感情としてあまりに落差の大きな過程であり、矛盾に満ちているともいえるが、人間が生存・生活するための、善悪を超えた避けがたい事実である。そしてそれは同時に、自然や動物に対する「感動と畏敬、祈り、感謝」の心のプロセスでもある。
 このプロセスは、どうにもならない矛盾の過程であるとともに、「矛盾の昇華」ともいうべき心の過程ではないか。こうしたいわば内省と自覚をともなう、矛盾を昇華する心の働きこそ、庶民のなかに息づいてきたものであり、いつの時代も、またいずれの地域においても、動物観の原点となるべきものではないかと考える。人は、このプロセスに自覚的であってこそ、生産者も消費者も真にものを食べることができるのではないか。(祖田、同書、p174-5)

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・・こうして人間ー動物関係の場合には、人間の側からだが、そのあいだに折りあいをつけることができれば、そこはまさに構想され、形成された均衡の場所となるのである。ここには怖れながらもやむを得ない、自然を管理するという思想が入り込んでいる。(祖田、同書、p194-5)

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補註 祖田さんは農業経済学の大学の先生を務めた後、退職後はクルマで通える距離のところに小さな農地を得て、米や野菜を栽培していらっしゃる。本書の前半では、自身の農作業と鳥獣害の体験を語り、後半では大学の研究者としての立場から「動物たちとどう向きあうか」を一般論として考察している。
 タイトルの「鳥獣害」と副題の「動物たちと、どう向きあうか」の二つのテーマは、それぞれが深く重いテーマであり、ひとつの書物でこの二者を統合的に語ることは難しい。農の実践者としての著者の前半の語りと、退職大学教授としての著者の後半のレクチャーとの語り方のギャップ(腰折れ)に、いつになったらこの段差が埋められるのだろうと、本書を読みながら歯がゆく、もどかしさを覚えた。
 残念ながら、最後のページに至るまでこのギャップは埋められることなく、著者は大学教授としての総論で本書を終えられてしまった。最後には地球温暖化のお話まで跳びだしてきて、思いが世界を駆け巡ってしまわれたーーこのことは、地に足を付けて考えてみたい一読者としては残念であった。
 著者の引用されている「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第五次評価報告書(2014年)」には「あまりに衝撃的な予想が示されていた」そうである(祖田、同書、p206)。IPCCの報告をまともに受けとめている本格的な科学者は、おそらく非常に少数の人々であることを鑑みると、本書の著者がご自身の実体験から得た確信に基づくことのない「政府間パネルの報告」のようなものを受け入れて議論をされているのは、非常に勿体ないことに思われた。
 「鳥獣害」に本気で取り組むためには、先に紹介した井上雅央(いのうえまさてる)さんのおっしゃったように、大学教授としての祖田さんには研究室の壁に飾られた思い出写真の中にでもすっこんでいていただいて、(大学教授もすでに退職されたのだから)農の新米・入門者としての祖田さんになりきって、地域の人々と力を合わせ、実地の鳥獣害対策に汗だくになってみることが大切だ。
 ・・かく言う私自身、今年も、まさに性懲りもなく、大事なプラムの葉っぱをぜ〜んぶシカに喰われてしまったのである。

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