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鐸木能光 医者には書けない幸せな死に方

2018年1月22日 月曜日 雪

たくきよしみつ(鐸木能光) 医者には絶対書けない幸せな死に方 (講談社+α新書) 2018年

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「家で死にたい」親と「家で死なせたくない」家族
 介護に疲れ果てて親や配偶者を殺したり心中したりする事件はたくさん起きていますし、これからも増えていくでしょう。そうした現実も踏まえて、介護施設や介護サービスを正しく選択し、うまく利用する技術も必要になってきます。(鐸木、同書、p149)

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私は、下の世話であれ入浴の手伝いであれ、「介護」と名のつく行為が必要になった場合、親子が無理に同居するのは極力避けたほうがいいと思っています。(鐸木、同書、p150)

・・となると、寝たきりではないが共同生活も困難であるという、いちばんやっかいなレベルの老人の面倒は家族がみなければならないという状況が生まれ、その結果、介護する側の家族のほうがストレスに耐えきれず、先に倒れてしまうのです。
 親の介護ができないような子は親不孝だという考え方は、子の側だけでなく、親の側も不幸にします。(鐸木、同書、p151)

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入所可能な施設が見つかったら、契約前にこう訊いてみましょう。
「ここで死んでもいいですか?」「ここで死なせてくれますか?」と。
その問いにどれだけしっかりした答え方をしてくれるかで、その施設のポリシーや姿勢が見えてくるはずです。(鐸木、同書、p186)

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・・「愛」などという言葉を使うと都合よく取り繕っているように思われそうですが、歳を取ってからの愛は、自分の弱さ、欠点、死を逃れられない運命・・そういうものの裏返しではないかと感じます。(鐸木、同書あとがき、p221)

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補註 認知症や介護施設のところは「情報」や「具体的な技術」が詳しく上手にまとめられていて大変参考になった。鐸木さんの「のぼみ〜日記」http://nikko.us/17/294.html もいつも読ませていただいている。

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