手にあまるものをはからずも与えられてしまったこと

2018年8月4日 土曜日 曇り

天沢退二郞 宮沢賢治の彼方へ ちくま学芸文庫 1993年(オリジナルは1967年)

・・この陽気でイノセントな<精>にすぎないホモイが、小川に落ちて流されてきたひばりの子を命がけで救ったため熱病にまでなり、そのために鳥の王から<貝の火>という宝珠をもらう。これが実はホモイの不幸のもとになるのであり、そうだとすればひばりの子を身をていして救ったことからしてすでにかれの不幸のはじまりだったことになる。(天沢、同書、p246)
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・・けっして聖人君子でないホモイ、人並みの小心さや邪気もあるごく平凡な子兎ホモイには<貝の火>を保持しつづけることははじめから無理だったのではないか。この、手にあまるものをはからずも与えられてしまったことからくる、足が地につかないような喜び・誇りと、それにつきまとう不安・恐れ、不吉な予感が、この物語をそもそも成り立たせているのである。(天沢、同書、p247)
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・・牽強付会を恐れずにいえば、法華経へのひとつの挑戦ともとれるのである。(天沢、同書、p249)
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・・そうした生々しい不安の底から詩人の自己処罰が主題として浮かび出てくる。
 子兎のホモイはいったい何をしたというのか? 春の野原の心地よさに・・(天沢、同書、p246)
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